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古代の息吹が宿る海と、私たちの心を満たす表現の力
変わりゆく日々の中で、愛と自らの果たすべき役割を両立させたいと願うあなたに向けて、私は日々、様々な表現を紡ぎ出しています。「人は幸せになるためにのみ、この世に送り出された」という揺るぎない確信を胸に、鑑賞する方の存在そのものを全肯定するエネルギーを込めて活動を続けてきました。
私たちの社会では今、人々の心と身体をより豊かな状態へと導くための素晴らしい取り組みが次々と生まれています。
例えば、2024年10月16日には、岐阜県庁にて「文化的処方プログラム・シンポジウム」が開催され、文化や表現の力で人々のつながりや心の豊かさを高める有用性について、活発な意見交換が行われました。
また、2024年1月9日には、出版社の株式会社オレンジページが運営する媒体において、表現活動を通じた心のケアである「臨床美術」がもたらす豊かな思考に関するインタビューが公開され、大きな反響を呼びました。さらに、2025年1月27日には、長崎県壱岐市において、全日本空輸株式会社と美術大学の学生たちが協働し、地域の人々と共に壁画パネルを制作したり、対話を通じて作品を鑑賞したりするプロジェクトの開催が発表されました。表現の力で地域の魅力を発信し、心豊かな交流を生み出す素晴らしい取り組みとして、多くの関心を集めています。
このように、私たちの心を根源から癒やし、満たしてくれる存在への注目は高まるばかりです。この記事にたどり着いてくださったあなたは、きっとご自身の人生において「生きがい」や「喜び」、そして「感動」をとても大切にされている方でしょう。ご自身の足でしっかりと歩みを進めながらも、「より自分らしい人生を心から楽しみたい」「内なる歓びをもっと真っ直ぐに味わいたい」という純粋な願いを抱いておられるのではないでしょうか。日々の責任を果たし、周囲の人々に愛を注ぐ中で、ふと立ち止まってご自身の心に栄養を与えたいと感じるその思いは、命が本来の輝きを取り戻そうとする極めて自然な反応です。
本記事では、豊かな自然と歴史が息づく長崎県壱岐島の風景や物語を交えながら、アートとウェルビーイングがどのように私たちの人生を潤し、好転させていくのかを詳しくお伝えしていきます。
米国を代表する思想家であり、自然との深い調和を説いたラルフ・ワルド・エマーソン氏は、「美を愛することは趣味(センス)であり、美を創造することは芸術である」という言葉を残しました。
この言葉は、人間が心身の豊かさを取り戻していくための、非常に実践的で明確なステップを教えてくれます。私たちが美しい風景や優れた表現に触れ、「あぁ、美しいな」と心を震わせる瞬間。それは、交感神経の緊張を解きほぐし、枯渇した生命エネルギーを優しく充電する大切な第一歩(美を愛すること)です。そして、そこで受け取った深い感動や安らぎを原動力にして、日々の仕事や生活空間、あるいは大切な人への何気ない言葉の中に、自分なりの思いやりや工夫を形にしていくこと。それこそが「美の創造」であり、私たちの日常そのものを一つの美しい芸術作品へと高めていく、最も身近で尊い実践なのです。
彼が語るように、私たちが美しいものに触れ、心動かされるその瞬間には、単なる気晴らしを超えた、現実を根本から作り変えるほどの計り知れない命のエネルギーが宿っています。ここから紐解く壱岐島の物語とウェルビーイングの実践法が、あなたの人生の転機において、より豊かで美しい世界へと歩み出すための確かな道標となることをお約束します。
生命の歓びを全肯定するエネルギーの交差点
私たちが日常の中で何気なく耳にするウェルビーイングとは、単に病気ではない状態を指すのではありません。あなたという存在そのものが絶対的な価値を持ち、心身ともに満たされ、生きる喜びに溢れている状態を意味します。そしてアートとは、キャンバスに描かれた絵の具の重なりや、美しく彫り込まれた造形物という物質的な枠を超え、作者の命のエネルギーと、それを受け取るあなたの命のエネルギーが交差する、目に見えないやり取りの場なのです。この2つが深く結びつくとき、私たちは日々を豊かに過ごすために不可欠な、極めて純度の高い生命の活力を手に入れます。
論理や効率だけが重視されがちな現代の社会において、理屈では説明できない「好きだ」「美しい」「心が震える」という感情は、枯渇しがちな私たちの内面を潤し、再び立ち上がるための温かな活力を与えてくれます。生きがいを感じ、感動を大切にするあなたの心にとって、これらは最も必要とされる栄養分と言えるのです。美術館の中だけでなく、大自然という究極の表現を前にした時にも、私たちの感情は大きく揺さぶられ、深い癒やしを得ることができます。
九州の玄界灘に浮かぶ長崎県壱岐島は、日本最古の歴史書『古事記』にも登場し、島内に150以上の神社が点在することから、古くから「神々の島(天比登都柱:あめのひとつばしら)」と呼ばれてきた奇跡のような場所です。
広大な海を目の当たりにすることで、人は自らの存在の小ささを感じ、日常で背負っていた重圧から解き放たれます。これは心理学や脳科学において「Awe(オウ)体験=大自然などへの畏敬の念」と呼ばれ、過剰な自己執着(交感神経の昂り)を強制的にリセットし、脳の疲労をスッキリと洗い流す効果が実証されています。寄せては返す波の音は「1/fゆらぎ」という自然界特有のリズムを持ち、人の脳波をリラックス状態へと導き、深い瞑想のような状態へと誘います。海の青さ(ブルースペース効果)や、波しぶきから発生するマイナスイオンは、幸福ホルモンと呼ばれるセロトニンの分泌を促し、心の奥底に眠っていた悲しみや複雑な感情の処理を助け、確かな安らぎを与えてくれるのです。
この癒やしと祈りの島には、紀元前2世紀から紀元後3世紀にかけて栄えた弥生時代の巨大な多重環濠集落「原の辻(はるのつじ)遺跡」が存在します。中国の歴史書『魏志倭人伝』に記された「一支国(いきこく)」の王都とされるこの場所は、単なる古い村の跡ではありません。
古代の壱岐の人々は、ただ自然の脅威に怯えて生きていたのではなく、海という巨大な「道」を活かし、東アジアの最先端を行くグローバルな交易拠点を作り上げていました。遺跡からは、中国大陸や朝鮮半島からもたらされた美しいガラス玉の装飾品、青銅器、最先端の鉄器、そして多様な土器が大量に出土しています。彼らは、荒波を越えてもたらされる異国の多様な文化や色鮮やかなアート(装飾品)を柔軟に生活に取り入れ、厳しい自然と調和しながらも、極めて洗練された心豊かな営みを築いていたのです。
古代の壱岐の人々は、海の恵みに対する深い畏敬の念(祈り)を忘れず、同時に未知なる外の世界の「美」を愛し、日々の暮らしそのものを美しく彩る術を知っていました。彼らの生き方は、自然との調和と、多様な美しさを受け入れる寛容さこそが、人間のウェルビーイング(心身の豊かな状態)を保つための普遍的な真理であることを、現代の私たちに静かに、そして力強く語りかけています。
また、江戸時代に壱岐島を含む平戸藩(現在の長崎県)を治めていた第9代藩主、松浦静山(まつら・せいざん)氏は、地位や名誉といった「外側の価値」を手放し、内なる知的好奇心と美意識に従って生きた、真のウェルビーイングの体現者として知られています。
かつて平戸は、南蛮貿易の拠点として西洋の文化が直接流れ込む玄関口でした。静山氏はその国際豊かでオープンな気風を受け継ぎ、日本中、そして世界中から集まる多様な文化、蘭学(西洋の学問)、美術品、名刀を深く愛しました。彼は大名という最高の権力と重圧の座にありましたが、まだ働き盛りである47歳であっさりと家督を譲り、隠居生活に入ります。それは決して社会からの逃避ではなく、自らの心が真に歓びを感じる「表現と探求の世界」へ全身全霊で没入するための、極めて主体的な選択でした。
隠居後の彼が20年以上の歳月をかけて執筆し続けたのが、全278巻にも及ぶ江戸時代最大級の随筆集『甲子夜話(かっしやわ)』です。驚くべきは、その内容の多様さです。政治の裏話や大名間の出来事だけでなく、市井の怪談や妖怪話、海外の珍しい動植物、最新の科学知識、そして庶民の何気ない日常の美しさが、身分や偏見に縛られないフラットな視点で生き生きと記録されています。彼が自邸に築いた文庫「楽歳堂(らくさいどう)」には数万冊の書物が収められ、彼の周りには身分を問わず多くの文化人や学者が集い、豊かな知のサロンが形成されました。
静山氏は、大名としての政治的成功という世間的な尺度ではなく、自らの心が何に反応し、何に美しさや面白さを見出すのかという「内面的な歓び」を人生の中心に据えました。さまざまな表現や未知の知識に触れ、それらをじっくりと味わい、文章という形でアウトプットし続けることで、自らの精神を極めて高い次元へと引き上げていたのです。他者の評価から軽やかに降りて、ただ純粋に「世界を知り、愛する」ことにエネルギーを注ぎ込んだ彼の生き方は、目に見えない知的好奇心との対話がいかに人間の器を大きくし、人生を真に豊かなものにするかを見事に教えてくれます。
日常の感覚を呼び覚ます3つの実践的な段階
では、この壮大な生命のエネルギーを、私たちはどのようにして日常に落とし込めばよいのでしょうか。論理や効率だけが重視されがちな現代社会において、理屈では説明できない純粋な感情は、枯渇しがちな内面を潤すために不可欠です。以下の3つの段階的な過程を通じて、ご自身の感覚を優しく呼び覚ましていきましょう。
1つ目の段階は、「自らの体温と身体感覚に意識を向けること」です。
科学的な相関として、基礎代謝が上がり体温が0.5度上昇すると、運や幸福感に良い影響を与えることが示唆されています。身体の冷えは心の硬直を招きます。温かい飲み物を飲んだり、心地よい温度のお湯に浸かったりする際、自分の内側からじんわりと温かさが広がる感覚をただ味わってください。
2つ目の段階は、「5感を意図的に開くこと」です。
自然や海、美しい作品に触れて視覚や聴覚などの五感を整えると、集中力は34%向上すると言われています。私たちは日常の95%を潜在意識で、残りの5%を顕在意識で処理しています。頭で考えすぎる状態を手放し、ただ目の前の色彩や香りに没入する時間を持つことが重要です。
3つ目の段階は、「正解を求める思考を手放すこと」です。
多くの方が思い通りにいかないこととして経験するのが、「この作品の歴史的背景を正しく理解しなければならない」「自分の感情には何か意味があるはずだ」といった思考の力みです。意味や正解を探そうとするほど、顕在意識が働きすぎてしまい、本来受け取れるはずのエネルギーが遮断されてしまいます。
この「捉え方の転換」を象徴する、長崎県壱岐島にまつわる有名な言葉があります。それは、誰もが知る「春一番」という言葉です。
現在では、長く厳しい冬の終わりと、生命が芽吹く暖かな春の訪れを告げる「希望の風」として広く親しまれています。しかし、この言葉の発祥地である壱岐島において、もともとは人々に深い悲しみをもたらした恐ろしい強風を指す戒めの言葉でした。
1859年(安政6年)、壱岐の郷ノ浦から出漁した漁船団が、突如として吹き荒れた春先の猛烈な南風に襲われました。この凄惨な海難事故によって、53名もの尊い漁民の命が奪われたのです。残された島の人々は、この恐ろしい春の嵐を「春一(はるいち)」や「春一番」と名付け、自然の猛威に対する畏れと悲しみを深く心に刻み込みました。
しかし、彼らはただ自然を恨み、恐れ続けたわけではありません。圧倒的な自然の力、すなわち人間の力では到底コントロールできない大きなエネルギーに対して、抗うのではなく、その出来事を記憶として受け止めながら、自然とともに生きていく道を選んだのです。
「この恐ろしい風が吹き抜けなければ、暖かな春はやってこない」。
人々は、あの日の悲しみを決して忘れることなく、亡くなった方々への祈りと敬意を胸に抱きながら、この強い風を語り継いでいきました。春の嵐は、自然の厳しさを思い起こさせる出来事であると同時に、命の重みを静かに思い出させる風として、季節の移ろいとともに島の記憶の中に刻まれていったのです。
この壱岐島の人々の姿勢は、私たちが人生で避けられない感情や出来事をどのように受け止めるか、その大切な示唆を与えてくれます。
私たちが人生で直面する深い悲しみや、コントロールできないほどの怒りや恐れも、無理に押さえ込もう(抗おう)とすれば自律神経を激しく消耗させます。しかし、壱岐島の人々が荒れ狂う風を「春一番」と名付けたように、ありのままの感情を受け止め、自分の中で意味づけることができた時、その強い感情は、やがて私たちの生きる力として働き始めます。この歴史は、私たちが思考の力みを手放し、あるがままの状態を受け入れることの本当の強さを教えてくれます。
波音が導く心の変容と、目に見える確かな軌跡
自らの感覚を信じ、生命のエネルギーを循環させる生き方へと歩みを進めた時、そこには間違いなく美しい変化が訪れます。
仕事や家庭において多くの責任を背負い、周囲への配慮を重ねるあまり、自らの感情が麻痺していく……。かつてこの「心の枯渇」に直面し、海に身を委ねることで劇的な回復を遂げた実在の女性がいます。世界的飛行家の妻であり、自らも優れた飛行家・文筆家として活躍したアン・モロー・リンドバーグ氏です。
彼女の人生は、常に他者の期待と巨大な運命に翻弄されるものでした。世界的英雄である夫を支える重圧、悲劇的な事件による癒えないトラウマ、そして常に世間の目に晒される中で5人の子供を育てるという過酷な日常。彼女は、妻として、母として、社会の求める役割に自分を細切れに与え続け、ついに「自分自身の芯」を見失いかけていました。
1950年代の初め、その押し潰されそうな日常から逃れるように、彼女はフロリダの海辺(キャプティバ島)へと一人きりの短い休暇に出かけます。広大な海を前にして寄せては返す波の音に包まれた時、彼女は複雑な思考を手放し、ただ浜辺に打ち上げられた美しい貝殻を拾い集めることに没頭しました。
彼女は、空っぽになった「ツミレイシガイ(巻き貝)」を見つめながら、生活の過剰な装飾や他者からの期待という荷物を捨て、シンプルに生きることの美しさに気づきました。また、「タマガイ」の滑らかな曲線に触れながら、誰のためでもない「自分だけの孤独で静かな時間」がいかに精神の回復に不可欠であるかを悟ります。他者の評価や社会の時計に無理をして合わせるのではなく、寄せては返す波のような「自らの内なるリズム」に従って生きること。
この海辺での静かな対話と深い気づきを綴った著書『海からの贈物』は、自分をすり減らしていた世界中の女性たちの心を打ち、歴史的なベストセラーとなりました。思考の力みを手放し、ただ美しいと感じる小さな貝殻に命の真理を見出す。その圧倒的な「受容」と「自己肯定」の時間が、枯渇していた彼女の幸福度を蘇らせ、人生を劇的に好転させたのです。
壱岐島勝本町にある「工房アオトミドリ」
また、こうした「海と表現による浄化」の過程は、現在、長崎県壱岐島で活動する実在のアーティストの姿とも見事に重なります。壱岐島勝本町にある「工房アオトミドリ」の篠崎恵美氏は、壱岐の美しい浜辺に打ち上げられたシーグラスや貝殻を集め、世界に一つだけのアート作品や万華鏡を生み出しています。
シーグラスとは、もともとは人間に捨てられ、砕け散ったガラス瓶の欠片です。それが何十年という長い年月をかけて海の波や砂に揉まれ、鋭い角が取れ、曇りガラスのような優しい風合いを持つ「海の宝石」へと変化したものです。
かつては人間に不要なものとして捨てられ、鋭く尖っていたガラスの欠片たちは、壱岐の美しい海の中を何十年という長い歳月をかけて漂い、波や砂に何度も揉まれることで、その鋭利な角をゆっくりと失っていきます。そうして自然の大いなるエネルギーに浄化され、丸みを帯びた優しい曇りガラスは、いつしか自然のパワーが宿る「海の宝石」へと姿を変えるのです。
篠崎恵美氏は、壱岐の浜辺に流れ着いたこのシーグラスを一粒ひとつぶ自らの手で拾い集めます。そして、丁寧に洗浄と除菌を行い、天日干しをした後、さらにベビーオイルを使って一つひとつ優しく磨き上げるという、途方もない手間と愛情を注いでいます。彼女の「飾ってほっこり優しい気持ちになれたり、思わずニッコリと和んでしまう作品を作りたい」「お客様にワクワクを提供することが生き甲斐」という純粋な歓びと祈るような手仕事によって、かつて鋭く尖っていた欠片たちは、光を乱反射して輝く世界に一つだけの万華鏡や、愛らしい造形物へと生まれ変わるのです。
これはまさに、私たちが日常の中で抱え込んだ疲労や深い傷つき(尖った感情)が、自然の力と「表現」という命の交差点を通ることで浄化され、かけがえのない美しさへと昇華される過程そのものです。自らの弱さやかつて持っていた鋭い痛みを受け入れ、そこに独自の形を与えた時、私たちの命は万華鏡の煌めきのように本来の輝きを取り戻し、周囲の空間をも温かく照らすことができるようになるのです。

心を解き放つために手放すべき、いくつかの思い込み
アートやウェルビーイングを日常の中に取り入れ、日々の充実感を高めていく過程では、多くの人が知らず知らずのうちにいくつかの思い込みを抱えてしまうことがあります。ここではそうした考えを一度整理し、心をより軽やかに保つための新しい視点について考えてみましょう。
よく見られる誤解のひとつに、「作品を深く楽しむためには専門的な知識や高い教養が欠かせない」という考え方があります。確かに歴史や背景を知ることで理解が深まる場合もありますが、それが絶対条件というわけではありません。本当に大切なのは知識の量ではなく、「その作品に触れたとき、あなたの心がどのように動いたか」という体験そのものです。胸の奥がふっと温かくなったり、思わず涙がにじみそうになったりしたのなら、それはあなたの感性が作品と自然に響き合った証しです。知識の有無を気にして遠慮する必要はまったくありません。
さらに、「ウェルビーイングとは、常に前向きで落ち込まない状態を保ち続けることだ」という思い込みも少なくありません。しかし、真の心の豊かさとは、悲しみや怒り、迷いといった複雑な感情を無理に排除することではないのです。そうした感情も自分の一部として受け止め、ゆっくりと整えながら再び立ち上がる力を育てていくことこそが、健やかな心の在り方と言えるでしょう。
古代中国の思想家である荘子(そうじ)氏は、物事の相対性と心の自由について、「天地(てんち)は我(われ)と並び生じ、万物(ばんぶつ)と我は一(いつ)たり」という極めてスケールの大きな言葉を残しています。
これは、人間が頭の中で勝手に作り上げた「善と悪」「美と醜」「ポジティブとネガティブ」といった小さな価値基準(物差し)で物事をジャッジするのをやめる、という教えです。彼が説いた「万物斉同(ばんぶつせいどう)」という思想によれば、広大な自然の営み(道=タオ)の中では、絶対的な正解も間違いも存在しません。すべては対等であり、ただそこにあるがままの姿で移り変わっていくこと自体が美しいのだと彼は説きました。
私たちは、悲しい時は悲しみ、嬉しい時は思い切り喜ぶために生まれてきました。波が満ちては引いていくように、感情の激しい揺らぎそのものが、自然界のリズムと深く呼応する「命の躍動」なのです。
現代社会では、常に前向きでいることや、負の感情を抑え込むことが美徳とされがちです。しかし、荘子氏の視点に立てば、それすらも人間の狭い偏見に過ぎません。無理に自分をポジティブな型にはめようとすることは、不自然な力みを生み、かえって自律神経を疲弊させてしまいます。海が、清らかな川の水も濁った泥水もすべてを区別なく受け入れるように、ご自身の内に湧き上がるどんな感情(怒りも、悲しみも、恐れも)に対しても、「これもまた自然な波の一部なのだ」とただ優しく見つめ、許してあげてください。その「評価を手放す」という究極の受容の姿勢こそが、あなたを本当の意味での絶対的な自由(荘子氏が「逍遥遊(しょうようゆう)」と呼んだ、何ものにも縛られない境地)へと導いてくれるのです。
歓びの旅を続けるためのささやかな1歩と、心満たされる場所
ここまで、長崎県壱岐島の物語を交えながら、私たちの命を輝かせるエネルギーについて紐解いてきました。今回の内容の重要な視点を3つに集約します。
- あなたという存在そのものが絶対的な価値を持っていると深く認識すること。
- 思考の力みを手放し、5感を意図的に開いて今この瞬間の美しさを味わうこと。
- 複雑な感情や自然の猛威すらも受け入れ、それを歓びへと反転させるしなやかさを持つことです。
これらの視点を日常に落とし込むための、今すぐにできる小さな行動の具体案をご提案します。ご自宅にあるお気に入りの「スプーン」や「フォーク」などのカトラリーを1つ手に取り、その滑らかな曲線を指先でゆっくりとなぞりながら、30秒間だけ深く呼吸をしてみてください。金属の冷たさがご自身の体温で少しずつ温まっていく感覚を、ただじっくりと味わうのです。この極めてささやかな時間が、あなたの意識を「今」に引き戻し、生命のエネルギーを優しく循環させる素晴らしいきっかけとなります。
アニメーション映画『魔女の宅急便』の中で、森に住む画家のウルスラが、主人公に向けてこのように語りかける場面があります。「魔女の血、絵描きの血、パン職人の血。神様か誰かがくれた力なんだよね。」私たちの中にもまた、美しさを感じ取る感性や、愛を育むあたたかな力が備わっています。そして人はそれぞれ、生まれながらにして自分らしい役割や可能性を静かに携えているのかもしれませんね。
最後に、日本が誇る素晴らしい空間をご紹介します。長崎県壱岐市にある「一支国博物館」です。この施設は、日本を代表する建築家である黒川紀章氏によって設計されました。建物自体が周囲のなだらかな丘陵と一体化するように作られており、屋上は美しい緑に覆われ、自然環境との完璧な調和を実現しています。
館内では、古代の壱岐の人々がどのように海を渡り、多様な文化を取り入れて豊かな生活を築いていたのかを、精巧な展示を通じて体感することができます。最上階の展望室からは、原の辻遺跡の広大な景色をパノラマで見渡すことができ、古代の人々が見上げていたであろう同じ空と風を全身で感じることができます。ただ歴史を学ぶだけでなく、空間そのものが持つ穏やかなエネルギーに包まれることで、現代に生きる私たちの心も深く整えられていくのを感じるはずです。壱岐島を訪れた際には、ぜひこの美しい博物館で、時空を超えた生命の歓びに触れてみてください。

最後に、あなたへ大切なメッセージをお伝えします。
愛と使命を両立するあなたへ。
私たちがこの世に生まれてきた理由は、
決して苦しんだり、人を恨んだり悲しんだり、傷つけ合ったりするためではありません。
命とは、喜びを味わうために生まれてきたものです。
命の温かさを感じ、知り、「生きててよかった」とほっとして、安心してニコニコ笑うために生まれてきたのです。
私たちは、絶対的に今世の命を楽しむべきなのです。
『愛のある場所でこそ、人は生きる力を得る。』
『人生とは、喜びという宝物を探す旅である。』
『温かな感情は体温を上げ、人を幸せへ導く。』
どうか忘れないでください。
『あなたは、神様がつくった最高傑作』です。
あなたの命が、これからも喜びというパワフルなエネルギーで満たされ、温かな笑顔とともに輝き続けることを心から願っています。

私は、「人は幸せになるためにのみ、この世に送り出された」という揺るぎない確信を持ったアーティストです。
愛や喜びは、抽象的な概念などではなく、私たちの「生命維持に不可欠な根源」だと考えています。
だからこそ、私のアートやメッセージには、あなたの存在そのものを絶対的な価値として全肯定するエネルギーを込めています。
あなたがいつも、大いなる愛と光に守られていますように。
そして、あなたの大切な命の時間が、たくさんの幸運と共にありますように。
nao
【参考情報、引用元】
- 京都大学大学院医学研究科 社会疫学分野(お知らせ:2024年6月4日 国際シンポジウム「アート・つながり・ウェルビーイング:文化の社会的価値を再考する」)
- ベネッセアートサイト直島(「自然とアートがもたらすウェルビーイング」研究 協力のお願い | ニュース)
- 芸術造形研究所(【メディア掲載情報】『ウェルビーイング的思考100』にて掲載 - アートセラピー/臨床美術・TOPPAN芸造研株式会社)
- ARTnews JAPAN(2024年のトレンドカラーは、激動の時代に平和やウェルビーイングを想起させる「ピーチ・ファズ」)
- artscape(【東京】だれもが文化でつながる国際会議2024 文化と居場所)
- DIVERSITY IN THE ARTS TODAY(「だれもが文化でつながる国際会議2024」開催)
- Art for Well-being(レポート アートとウェルビーイング -表現すること、生きること。〈中編〉)
- 認定NPO法人 全国こども食堂支援センター・むすびえ(むすびえが「ウェルビーイングアワード 2024」活動・アクション部門グランプリを受賞)
- ART共創拠点(岐阜県「清流の国ぎふ」文化祭2024 文化的処方プログラム・シンポジウム開催)
- 国立アートリサーチセンター(プレスリリース「『ああともTODAY』を2024年5月7日より公開」を掲載しました)
- 東北芸術工科大学(文化庁補助事業:温泉地を舞台にした持続可能な「アート&ウェルビーイング」人材育成プログラム【受講無料】)
- 壱岐観光ナビ(壱岐発祥の言葉「春一番」。江戸時代に漁民が恐れた強風の歴史と教訓)
- YouTube(【癒し】壱岐島から『満月ワーク』をお届けします。ソルフェジオ周波数 528Hz/月のテンポBPM 116)
- 工房アオトミドリ(自然豊かな癒しの島「壱岐島」からの心を込めた特別なギフト)
- 壱岐観光ナビ(島で集めたシーグラス。壱岐の思い出を作品に変えて持ち帰る「工房 アオトミドリ」)
- AIR_J(iki base artist in residence)
- ながさき旅ネット(壱岐で体験!シーグラス万華鏡づくり|レトロ可愛いお土産におすすめ)
- ANAあきんど株式会社(長崎県壱岐市で「旅ムサ×ANA」を実施!アートの力で地域の魅力を発信します)
- ikibase(壱岐ベース)
- ANA Group 企業情報(実りの島 壱岐市の魅力をアートで発信! 長崎県壱岐市で美大生による「壁画パネルぬり絵ワークショップ」「おしゃべり鑑賞会」を開催します。)
- 岐阜県公式ホームページ(文化的処方プログラム・シンポジウムの開催について)
- オレンジページnet(アートセラピー「臨床美術」がもたらす豊かな思考とは?)
- 名言+Quotes(ラルフ・ワルド・エマーソンの名言・格言)
- 松浦史料博物館(松浦静山と甲子夜話)
- 壱岐観光ナビ(「春一番」の塔)
- Web漢文大系(荘子)
- スタジオジブリ(映画『魔女の宅急便』)
- 壱岐市立一支国博物館(施設・建築について)
- Wikipedia(ラルフ・ワルド・エマーソン)
- 名言アドバイザー(ラルフ・ワルド・エマーソンの魂が震える名言・格言)
- 長崎県(特別史跡 原の辻遺跡)
- 壱岐観光ナビ(特別史跡 原の辻遺跡)
- 文化遺産オンライン(原の辻遺跡)
- 長崎県埋蔵文化財センター(原の辻遺跡とは)
- 松浦史料博物館(松浦家第34代(平戸藩第9代)藩主 松浦静山)
- 平戸市(平戸の歴史と文化:松浦静山と甲子夜話)
- 国立公文書館(甲子夜話の世界)
- 刀剣ワールド(松浦静山と名刀コレクション)
- 九州旅ネット(春一番の塔)
- ウェザーニュース(「春一番」の意外なルーツとは!?)
- 壱岐観光ナビ(壱岐発祥の言葉「春一番」。江戸時代に漁民が恐れた強風の歴史と教訓)
- 壱岐市(051イキコレpeople篠崎恵美さん)
- 壱岐観光ナビ(シーグラスアート体験)
- 工房アオトミドリ(ワークショップ)
- 新潮社(海からの贈物)
- Wikipedia(アン・モロー・リンドバーグ)
- 致知出版社(アン・モロー・リンドバーグ『海からの贈物』が教えてくれること)
- 東洋経済オンライン(「海からの贈物」が今も読まれ続ける本当の理由)
- プレジデントオンライン(世界的ベストセラー『海からの贈物』の著者が説く、満たされた人生を送るための「たった一つの条件」)
- 工房アオトミドリ(工房アオトミドリ – 自然豊かな癒しの島「壱岐島」からの心を込めた特別なギフト)
- ながさき旅ネット(壱岐で体験!シーグラス万華鏡づくり|レトロ可愛いお土産におすすめ)
- 壱岐観光ナビ(島で集めたシーグラス。壱岐の思い出を作品に変えて持ち帰る「工房 アオトミドリ」)
- じゃらんnet(【壱岐/万華鏡】~海の万華鏡づくり体験~シーグラス、貝殻などを使って世界で一つだけの美しい万華鏡を作ろう)
- 臨済宗大本山 円覚寺(万物と我と一体)
- 臨黄ネット(禅語 - 天地一杯の自己)
- 松岡正剛の千夜千冊(荘子)





