SNSを見て落ち込む理由/比較して苦しくなる今日に、自分らしく生きるための話
【今日のメッセージ】✍️
「誰かの姿が眩しく見えて、自分を見失いそうになる今日に」
SNSを開くたび、
誰かの輝きが目に入る。
自由に生きているように見える人。
軽やかに夢を叶えているように見える人。
たくさんの人に囲まれて、
自分の世界をどんどん広げているように見える人。
そんな姿を見ると、
「すごいなぁ」って、本当に思う。
でもその反面、
なぜか少しだけ、
心が苦しくなる時があります。
「私は何をしているんだろう」
って。
本当は、
誰かと比べて落ち込みたいわけじゃない。
誰かの幸せを、
ちゃんと祝福できる人でいたいし、
誰かの才能を、
素直に美しいと思える人でいたい。
でも、人間だからね。
時々、
誰かの姿が眩しすぎて、
自分を見失いそうになる。
ちょっと恥ずかしいけれど、
私にも、そんな瞬間があります。
だけど最近、
そんな自分を、
少しだけ責めすぎなくなりました。
なぜなら、
この感情は、
悪いものだけではないのかもしれないと
気づいたから。
人はきっと、
本当に諦めているものには、
そこまで心が動かない。
「いいな」
「羨ましいな」
「なんだか苦しいな」
そう感じる時って、
心のどこかでまだ、
『私も、本当はもっと≪私≫を生きたい』
って、魂が心の底から
願っている時なのかもしれない。
もっと自由に。
もっと自分らしく。
もっと、自分の可能性を見てみたい、
成長したい、広げたい。
そんな小さな火種が、
心の奥にあるから、
痛みとして反応するのかもしれない。
だから私は最近、
「比較しないようにしなきゃ」
と無理に押さえ込むよりも、
『私の心は何に反応したんだろう』
って、
自分の内側へ問いかけるようにしている。
自由そうに見える生き方だろうか。
行動力だろうか。
自信だろうか。
楽しそうに生きている姿だろうか。
人との繋がりだろうか。
その『羨ましい』の奥を見つめていくと、
本当は自分が求めていたものが、
改めて見えてくることがあります。
そしてもうひとつ、感じたこと。
誰かの姿を見て、胸がきゅっと苦しくなる時。
誰かの輝きに、心が揺れ強く動く時。
もし本当に、
自分の可能性を諦めていたら。
羨ましいと思ったその人の中に、
自分と重なる部分を見つけていなかったら。
人はそこまで、
心が揺れない気がする。
おそらく、「あぁ、すごいな」で終わる。
でも、
なぜか苦しくなる。
なぜか焦る。
なぜか落ち込むなら。
それはきっと、
「羨ましさ」
「焦り」
「自己否定」、だけじゃない。
「まだ自分を諦めていない気持ち」
「自分の未知なる可能性」も、
自分の魂が素直に感じ取ったから起こる。
ただ今は、
それらが全部、
混ざり合っているだけ。
でもそれって、
実はすごく人間らしいことだよね。
それでいいんだよね。
人間の脳って、
もともと『比較する生き物』みたいです。
昔の人類は、
集団から外れると
生き残れなかったらしいのです。
だから脳には、
「自分は遅れていないか」
「置いていかれていないか」
「ちゃんと価値があるか」
を確認する機能が、強く備わっていると。
つまり比較感情とは、
もともとは、
「生き延びるためのセンサー」の役割を持つ。
それは、
『自分が、ちゃんと生きている』証拠。
この感情には、ちゃんとそういう意味がある。
だから今の時代みたいに、
SNSで世界中の「輝いて見える人」を
毎日見続ける時代は、
脳がずっと警報を鳴らしやすい。
本来なら、(例えば)
小さな村の中で比較していた脳が、
今は、
世界中の「すごく見える人」ばかりを
見せられている状態だから。
しかもSNSって、
その人の人生の
「一番輝いている瞬間」だけが切り取られる。
でも本当は、
育った環境も、
タイミングも、
出会いも、
持っている特性も、
見えない努力も、
抱えている痛みも、
全部違う。
全然違う。
だから人はみんな、
そもそも同じ土俵じゃない。
なのに、
私たちはつい、
同じ場所で比べてしまう。
でも、やっぱりそんなことって、
たくさんあるよね。
(いやになるくらい。笑)
ただ、
ひとつだけ気をつけたいことがある。
それは、
「私はダメだ」
に変換しないこと!!!
(絶対にそれだけはしちゃいけない)
この時代は、
どうしても「目に見える結果を出している人」が目立つ。
結果。
数字。
影響力。
実績。
もちろん、
それは本当に素晴らしいこと。
でもその一方で、
「立ち止まったら置いていかれる気がする」
そんな不安を抱えながら、
走り続けている人も、
きっとたくさんいる。
だから私は思う。
今の時代に本当に必要なのは、
ただ前へ進み続けることだけじゃなく、
『本当の自分の感覚を見失わないこと』
『自分はどう在りたいかに、
いつでも戻れる自分であること』 。
SNSを見て苦しくなった日。
自分には何もないように感じた日。
誰かの姿が、眩しすぎた日。
比較して苦しくなった時って、
脳はすぐに、
「自己否定」へ向かおうとする。
そんな日こそ、
「私はダメだ」じゃなくて、
その出来事を通して、
『私の心は何に反応したんだろう?』と
優しく見つめてあげる方がとっても大切。
だって、
苦しくなるほど、
人はちゃんと、
『本来の自分を生きたい』と思っているから。
自分の可能性を信じているから。
だから
比較を無理に消そうとしなくていい。
比較してしまう自分を、責めなくていい。
まずは、
「私は今、苦しくなってるんだな」
と、受け止めてあげること。
「私はダメ」まで、絶対に行かないで。
そしてね、
人にはそれぞれ、その人の、
『一番綺麗な花』が咲くタイミングが絶対にある。
それは一気に花開く人もいる。
でも、
長い時間をかけて、
見えない場所で根を張る人もいる。
どちらが優れているとかじゃなく、
ただ、
「その人の人生での」満開の時期が違うだけ。
花が咲く前、
根は見えない場所で育っている。
だから今、
何も進めていないように感じても。
見えないところで、
ちゃんと育っているものは、絶対にあるよ。
≪自分自身を、諦めてさえいなければ。≫
それは今、
あなたがやりたいことだったり、
頑張っているものだったり、
人とのご縁や運だったり、
タイミングだって育っている。
だから今日は、
自分を急かしすぎないでくださいね。
「自分以外の誰か」みたいになる必要は絶対にない。
今日やるべきことはまず、深呼吸して、
自分の呼吸(心地よく過ごせる感覚)を取り戻すこと。
例えば『火』って、
扱い方を間違えると、
自分を焼いてしまうけれど、
でも、
ちゃんと灯せば、
誰かを照らす温かな光になる。
あなたの『命の火』を、
自分のために大切に扱うんだ。
だから私はこれからも、
「自分で在る時間」を、大切にしていきたい。
また落ち込んだ日が来たとしてもね。
生きていたら、誰だって波はあるもんね。
人間、だからね。
以前、アートを描いているときに、
こんなメッセージが降りてきたことがありました。
《何かを開始する前、
そして、実際に始めたとき。
あの人は、あんなにできるなんて
そんなふうに比べ始めたらキリがないよ。
他人と比べることに意味なんかないよ、
まして、自分にばつをつけるための比較なら、
尚更いらないよ。
見てみなよ。
あなた以外の人間が、
他にどれだけいると思う?
いすぎるんだよ。
ライバルにするには多すぎる。
だから、他人の歩みは、
自分を苦しめる材料じゃなくていい。
「こんな道もあるんだ」って、
参考やヒントとして受け取るくらいで、
ちょうどいい。》
この世界は、
いつも前へ進める人だけのものじゃない。
迷いながらでも。
傷つきながらでも。
立ち止まりながらでも。
ちゃんと、その人だけの
『春光爛漫』を迎えられる日が、絶対に来る。
私は、アートやメッセージで
ご縁のある方に向けて
これからも
その方の命を丸ごと全肯定
させていただきますね。
私たちがこの世に生まれてきた理由は、
決して苦しんだり、
人を恨んだり悲しんだり、
傷つけ合ったりするためではないから。
喜びを味わうために生まれてきたから。
命の温かさを感じ、
知り、「生きててよかった」とほっとして、
安心してニコニコ笑うために
生まれてきたのです。
私たちは、絶対的に
今世の命を楽しむべきだから。
どうぞ忘れないでください。
『あなたは、神様がつくった最高傑作』です。
あなたがいつも、
大いなる愛と光に守られていますように。
そして、あなたの大切な命の時間が、
たくさんの幸運と共にありますように。

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