「日本の抽象画」と聞いて、どんな絵を思い浮かべるでしょうか。じつは戦後の日本には、世界の美術館がいまも展覧会を開く抽象表現のグループがありました。兵庫県の芦屋で生まれた「具体美術協会」です。
この記事では、国立新美術館や Tokyo Art Beat の紹介をもとに、具体美術協会がどんなグループだったのかをまとめます。
1954年、芦屋で生まれたグループ
具体美術協会は、1954年に兵庫県芦屋市で結成されました。中心になったのは、戦前から画家として活躍していた吉原治良(よしはら じろう)です。吉原の自宅があった芦屋で始まり、1972年に吉原が亡くなったあと、まもなく解散しました。およそ18年の活動です。
国立新美術館の展覧会情報では、具体美術協会は、作品を通して「われわれの精神が自由であるという証を具体的に提示」しようとしたグループとして紹介されています。
「人のまねをするな、今までにないものをつくれ」
吉原が若い作家たちにくり返し伝えたのが、「人のまねをするな、今までにないものをつくれ」という言葉です。具体美術協会を語るとき、かならずと言っていいほど引かれる言葉として知られています。
決まった描き方を教えるのではなく、それぞれが自分にしかできない表現を探す。そのため、会員の作品は一人ひとりまったく違うものになりました。
足で描いた、白髪一雄の絵
よく知られているのが、兵庫県尼崎市出身の白髪一雄(しらが かずお)です。床に広げた画面に絵の具をたっぷり置き、天井から吊るしたロープにつかまって、素足で絵の具をのばしていく。そうして生まれた大きな抽象画は、いまも国内外の美術館に収められています。
ほかにも、紙を張った枠を体ごと突き破る作品や、絵の具の入った瓶を投げつけてつくる作品など、描くことそのものを大胆に問い直す試みが続きました。
世界が見なおした「GUTAI」
2000年代に入ると、具体美術協会は海外でも大きく見なおされていきます。2013年には、ニューヨークのグッゲンハイム美術館で「Gutai: Splendid Playground」展が開かれました。いまでは「GUTAI」という名前のまま、戦後日本美術を代表するグループとして世界で知られています。
2022年には、大阪中之島美術館と国立国際美術館の2館で、大きな回顧展「すべて未知の世界へ ― GUTAI 分化と統合」も開かれました。
抽象画は、その人にしか描けない絵
具体美術協会の作品を見ていると、抽象画は「何が描いてあるか」よりも、「その人が何を差し出したか」が伝わる絵なのだと感じます。まねではない、その人だけの表現だからこそ、70年たったいまも見る人の心を動かすのだと思います。
わたしのオーダーについて
わたしは山形で、オーダーの抽象画を描いています。お話をうかがい、その方の歩みや大切にしていること、これから生きたい未来を受けとって、世界に一枚だけの原画にします。頼み方は「抽象画をオーダーするには」の記事に、ご自身や大切な方のための一枚はPERSONAL ORDER ARTのページに、会社やお店のための一枚はBUSINESS ARTのページにまとめています。
【参考にした情報・引用元】
国立新美術館 アートコモンズ(すべて未知の世界へ ― GUTAI 分化と統合)
Tokyo Art Beat(【具体】を知る3つのキーワード。戦後の芦屋で生まれた美術家集団について)
インターネットミュージアム(白髪一雄 展覧会レポート)
Solomon R. Guggenheim Museum(Gutai: Splendid Playground)
