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現代を生きる私たちが求める、本質的な豊かさと美の力
私たちの社会では今、人々の心と身体をより豊かな状態へと導くための素晴らしい取り組みが次々と生まれています。
例えば、2024年5月12日には、東北芸術工科大学において、温泉地を舞台にした持続可能な表現の力と心の健康を育む人材育成プログラムの事前説明会が開催されました。地域に根ざした表現活動を通して、人々の心を豊かにする試みが大きな注目を集めています。
また、2025年4月30日からは、福祉施設と協働して表現とケアとテクノロジーのこれからを考える伴走型実践プログラムにおいて、社会に貢献する技術者の募集が開始されました。さらに、2025年11月26日には、国内の健康支援企業と美術品競売企業により、「元気をもらえる美術品」と題した、持続可能な心の豊かさ実現へ向けた初の共同企画が発表されました。美しい作品がもたらす心身への肯定的な変化を体験する、希望に満ちた取り組みです。
充実した仕事や家庭生活を送りながらも、ふと立ち止まり、ご自身の人生における「生きがい」や「生きている意義」について深く考えを巡らせる瞬間があるのではないでしょうか。あなたはきっと、日々の生活の中で「喜び」や「感動」をとても大切にされており、「より自分らしい人生を心から楽しみたい」と純粋に願っておられることでしょう。社会的な役割を立派に果たすだけでなく、ご自身の内側から湧き上がる温かな感情に素直に耳を傾けたいというその思いは、命が本来の輝きを放とうとする素晴らしい兆しです。
この記事では、見えない内面の世界と目に見える現実の世界、その両方を大切にされるあなたに向けて、美と心の豊かさを探求する旅をご案内します。
歴史に名を刻む偉大な思想家であり、悟りを開いたゴータマ・シッダールタ(ブッダ)氏は、初期仏典『一夜賢者経(いちやけんじゃきょう)』の中で次のような言葉を残しています。
「過去を追うな。未来を願うな。過去はすでに捨てられ、未来はまだやってこない。ただ今日なすべきことを、今この瞬間において熱心になせ」
この言葉は、私たちの心が「今、ここ」から離れて、変えられない過去への後悔や、まだ見ぬ未来への不安に囚われてしまうことが、苦しみ(ストレス)の根源であると説いています。ブッダ氏は、過ぎ去ったことや不確かなことにエネルギーを注ぐのではなく、今この瞬間に意識を集中させることの重要性を説きました。
これは単に「明日のことを考えるな」という意味ではありません。今、目の前にあるお茶の香りを深く吸い込むこと、窓の外に広がる空の色彩に気づくこと、そして大切な人との対話に心を尽くすこと。そのように、五感を通じて「今この瞬間の豊かさ」を全身で味わい、誠実に生きることこそが、結果として最も確かな未来を創り出し、より豊かな世界へと歩み出すための揺るぎない道標となるのです。
内なる調和がもたらす、生命の輝きと真の美しさ
アートやウェルビーイングという言葉は、単なる健康法や一時的な気分転換を指すものではありません。それは、私たちが本来持っている感性や、生きる充実感と深く結びついたものです。アートとは、キャンバスに描かれた色彩や彫刻といった形ある作品を超えて、作り手の思いや視点が受け手の感性と出会う場所でもあります。作品を通して生まれるその穏やかな共鳴が、私たちの内面に新しい気づきや感情をもたらしてくれるのです。そしてウェルビーイングとは、あなたという存在が尊重され、心と身体の両方が安定し、自分らしく日々を生きられている状態を意味します。
この「内なる喜び」と「現実の調和」を深く理解する上で、古代インドで悟りを開いたゴータマ・シッダールタ(ブッダ)氏のエピソードは、時を超えた大きなヒントを与えてくれます。
彼の弟子の一人に、ソーナという青年がいました。彼はもともと豪商の息子として何不自由ない贅沢な暮らしをしていましたが、出家後はその反動からか、誰よりも激しい修行に打ち込みました。彼は「悟りを開くまでは横にならない」と誓い、素足で歩き続ける修行を猛烈に行いました。もともと繊細な肌を持っていた彼の足はやがて裂け、修行の道が血に染まるほど自分を追い詰めてしまったのです。しかし、どれほど肉体を痛めつけても一向に心の平穏は訪れず、彼は「自分には才能がないのではないか」と絶望し、修行を諦めようとしていました。
その様子を察したブッダ氏は、ソーナ氏がかつて琴(ヴィーナという弦楽器)の名手であったことを知り、彼に優しく語りかけました。
「ソーナよ、お前に問おう。琴を弾くとき、弦をきつく張りすぎたらどうなるかね?」
「……はい、弦は切れてしまいます」
「では、逆に弦を緩めすぎたらどうなるかね?」
「良い音は鳴らず、音楽になりません」
「その通りだ。ソーナよ、修行もそれと同じなのだ。精進(努力)が強すぎれば、心は高ぶり、焦りが生まれて空回りする。逆に精進が弱すぎれば、心は弛緩し、怠惰に流れてしまう。ちょうど良い具合に張られた時にのみ、琴は美しい音を響かせ、心は真の平穏に安らうことができるのだよ」
この2500年以上大切に語り継がれているエピソードは、仏教の経典(『阿含経』など)に記された非常に有名な史実(伝承)であり、まさに私たちが現代社会で健やかに生きるための本質を突いています。責任ある立場で活躍されている方は、知らず知らずのうちに「心の弦」を限界まで張り詰めてしまう傾向にあります。「もっと成果を出さなければ」「完璧でなければ」という強い思いは、いつしか自分を縛る鎖となり、命の音色を濁らせてしまいます。
弦が張り詰めた状態では、どれほど素晴らしい技術を持っていても、人の心を打つ柔らかな音楽を奏でることはできません。自分自身の心と体の状態に優しく耳を澄まし、今、自分の弦が「張りすぎていないか、あるいは緩みすぎていないか」を確認すること。ブッダ氏がソーナ氏に教えたように、その「ちょうど良い調和(バランス)」を見つけたとき、あなたの人生という舞台からは、あなたにしか奏でられない最高の音色が響き始めるのです。
日常の中で感覚をひらき、エネルギーを回復させる段階的アプローチ
この調和を日々の暮らしの中に取り入れていくには、いくつかの段取りを意識することが役立ちます。私たちが現実の感じ方を少しずつ変え、創造的な感覚を取り戻していくためには、階段を一段ずつ上がるように、落ち着いた手順を重ねていくことが大切です。急いで自分を大きく変えようとする必要はありません。これからご紹介する三つの流れを通して、無理なく感覚をひらいていきましょう。
第1の段階は、「現状の自分をただ認めること」です。
私たちは、理想の自分を追い求めるあまり、「もっと頑張らなければ」と自分に厳しくなり、現在の「欠如」ばかりに目を向けがちです。しかし、まずは客観的な観察者(メタ認知)の視点で、「今はひどく疲れているのだな」「今の私はこの夕暮れの色を美しいと感じているのだな」という、ありのままの感情や身体感覚を、善悪の判断を挟まずにそのまま受け止めることがすべての出発点となります。
第2の段階は、「不要な力みや思い込みを手放すこと」です。
心理学的にも、私たちの脳は「足し算」よりも「引き算(減らすこと)」の方が難しく、ストレスを感じやすいと言われています。だからこそ、意識的に「誰かの期待に応えるための無理な行動」や、「〜すべきだ」という古い思い込みを、一日に一つだけでも手放してみてください。この「空白」を作ることが、新しい創造性を迎え入れるための「器」となります。
第3の段階は、「純粋な五感を開き、美しさを味わうこと」です。
これはポジティブ心理学で「セイバリング(Savoring)」と呼ばれる技法です。自然の景色や素晴らしい美術作品、あるいは一杯のお茶の香りに全神経を集中させ、ただ「好きだ」「心地よい」という純粋な感情に身を委ねます。この瞬間、脳内では幸福感をもたらす神経伝達物質が分泌され、あなたの生命エネルギーは急速に充電されていきます。
この三つの段階を丁寧に進むことで、あなたの内面は満たされ、その温かなエネルギーは自然と外側へと広がり、周囲の環境をも明るく照らし出す道標となっていくのです。
「静」ではなく「動」で整える:渋澤健氏が辿り着いた「しずかなるこころ」
コモンズ投信の会長であり、新一万円札の顔としても知られる渋沢栄一の玄孫(げんそん)、渋澤健氏。米国での生活が長く、投資や経営という極めてロジカルで数値化された世界を生きる氏は、かつて、多忙を極める日常の中で精神を整えるために「座禅」を試みたことがありました。
しかし、静かに座って思考を止めようとすればするほど、頭の中には次々と市場の動向や未解決の課題が浮かんできてしまい、「正しく静止しなければならない」という義務感が、かえって心の弦を張りすぎた状態を生んでしまったのです。
そんな氏が40代半ばで出会い、救われたのが「茶の湯」の世界でした。
渋澤氏は、茶道には「お湯を汲む」「茶を点てる」といった具体的な一連の「動作」があることに着目しました。ただ静かに座るのではなく、目の前の動作の一つひとつに全神経を集中させる。お湯が沸く「松風(しょうふう)」と呼ばれる音に耳を澄まし、茶筅を振るリズムを刻み、一椀の茶の温かさを手のひらで受け止める。
この「動作を伴う瞑想(動的な瞑想)」に切り替えたことで、氏はようやく、張り詰めていた「思考の力み」を手放すことができたのです。氏はこの状態を、高祖父・渋沢栄一が重んじた「論語と算盤」の根底にあるべき精神として「しずかなるこころ」と呼んでいます。
毎朝、自宅のキッチンや茶室で自らお茶を点てる数分間。この習慣によって、氏は情報の荒波の中でも「本質」を見抜く直感力を取り戻し、短期的な数字に一喜一憂しない、しなやかな心のゆとりを持って創造的な決断を下せるようになったそうです。このように、完璧な形式や長時間の沈黙に縛られるのではなく、五感を通じた心地よいリズムの中に身を置くことが、結果として現代を生きる私たちのウェルビーイングを高める、確かな一歩となるのです。
苦行の果ての「受容」:ブッダが選んだ慈愛と再生
ゴータマ・シッダールタ(ブッダ)氏自身も、壮絶な実体験を通して「手放すこと」と「自分を慈しむこと」の重要性を学んでいます。彼は悟りを求めて、6年間ものあいだ過酷な苦行に身を投じました。一日に麻の実一粒、米一粒という極限の断食を行い、息を止める修行を繰り返した結果、彼の肉体は文字通り「骨と皮」の姿になりました。有名な「苦行釈迦像」が示す通り、肋骨は浮き出し、腹に触れれば背骨に手が届くほど自分を追い詰めていたのです。
しかし、死の寸前にまで衰弱したとき、彼はあることに気づきました。「極限まで弱った身体では、心を静かに集中させることすらできない。この状態では真の安らぎには辿り着けない」と。こうして彼は、当時の修行者の間で当然とされていた過酷な苦行を手放す決意をします。古代インドでは、「肉体は魂を縛る牢のようなものであり、それを徹底的に抑え込むことでしか解放には至らない」という考え方が広く信じられていました。しかしブッダは、死の淵に立った経験を通して、別の真理に気づきます。濁った水では底に沈むものを見ることができないように、乱れた心身の状態では、深い真理を見つめることはできないということに。
苦行の森を出てナイランジャナー川で汚れを落とし、ふらふらになりながら岸に上がった彼は、村の娘スジャータ氏から黄金の鉢に盛られた乳粥(ちちがゆ)を受け取りました。当時の修行者たち、特に彼と共に歩んできた五人の仲間から見れば、美味しい食べ物を受け取り、食べることは「修行の挫折」であり、最も軽蔑されるべき「堕落」でした。仲間たちは彼を非難し、見捨てて去っていきました。
しかし彼は、「他者の評価」よりも「命の声」を優先しました。彼は仲間たちの軽蔑の眼差しを静かに受け流し、自らの身体が求める温かな栄養を、感謝と共に全身で受け取ったのです。この一杯の乳粥が、彼の枯渇した細胞に生命の火を灯し、心身のエネルギーを完全に回復させました。
十分なエネルギーで生命力を満たしたからこそ、彼はその後、菩提樹の下で深く、そして明晰に心を落ち着けることができ、ついに究極の悟りを開くことができたのです。この歴史的な転換点は、私たちに教えてくれています。大きな壁に直面し、疲弊しきっている時こそ、まず自分に栄養と美しさを与え、内側のエネルギーを「満」の状態にすること。それこそが、不可能を可能にする「真の強さ」の源泉となるのです。
感情の海を越えて見出した、自らを肯定する確かな喜び
ここで、日常の中で美に触れ、心を変容させていったある女性の実話をご紹介します。
日本を代表する女優の一人である室井滋氏は、30代から40代にかけて、映画やドラマ、バラエティと息つく暇もない多忙な日々を送っていました。周囲の期待に応え、求められる「室井滋」というキャラクターを完璧に演じ続ける中で、彼女の心は次第に摩耗し、自分の本当の感情がどこにあるのかさえ分からなくなっていたと言います。どれほど疲弊していても、「弱音を吐いてはいけない」と自らを律し、常に明るく振る舞い続けていたのです。
そんなある日、彼女は吸い寄せられるように滋賀県にある向源寺を訪れ、国宝・十一面観音立像と対面しました。そのしなやかで、すべてを包み込むような慈愛に満ちた木彫りの造形の前に立った瞬間、彼女の胸の奥で張り詰めていた糸が、音を立てて切れました。
何百年もの間、戦火や風雪を越え、人々のあらゆる悲しみや祈りを無言で受け止め続けてきた観音様の深遠な存在感。その眼差しと自らの命のエネルギーが共鳴した瞬間、室井氏の目からは、堰を切ったように涙が溢れ出しました。それは、長い間仕事や役割のために押し殺してきた彼女自身の孤独、疲れ、そして「一人の人間としての叫び」が、絶対的な安心感の中で解放された瞬間でした。
彼女はこの体験を機に、仏像を巡る旅を通じて「自分自身を整える」ことを大切にするようになりました。他者の評価や役割としての自分ではなく、ただ美しいものに魂を震わせ、ありのままの自分に戻る時間を持つこと。その変化は彼女の表現にさらなる深みを与え、周囲との関係をも、より自然体で豊かなものへと変容させていったのです。
室井滋氏が「仏像は心の鏡であり、サプリメントだ」と語るように、自分を映し出す「鏡」となる美を見つけることは、現代を生きる私たちにとって最高のセルフケアになります。
深い悲しみと他者への真の慈悲
ゴータマ・シッダールタ(ブッダ)氏の慈悲を象徴する物語として、キサー・ゴータミーという女性のエピソードは欠かせません。
彼女は貧しい家庭の出身で、結婚してからも婚家で軽んじられていましたが、男の子を産んだことでようやく家族の一員として認められました。しかし、その愛する我が子が歩き始めるようになった矢先、病で命を落としてしまいます。彼女にとって、息子の死は単なる「愛別の苦しみ」だけでなく、ようやく手に入れた「自らの居場所と尊厳」が崩れ去ることを意味していました。
悲しみのあまり現実を受け入れられず、冷たくなった我が子を抱いて「薬をください」と街を彷徨う彼女に、シッダールタ氏はあえて言葉による慰めを与えず、一つの「ミッション(行動)」を提示しました。
「これまで一度も、死人を出したことのない家から、芥子(けし)の種をもらってきなさい。それが子を生き返らせる薬の材料になるだろう」
芥子の種は、当時のインドではどこの家庭の台所にもある、ごくありふれた日常品でした。彼女は「それだけで子が助かるなら」と一縷の望みを抱いて家々を訪ね歩きます。しかし、どの家を訪ねても、返ってくる答えは同じでした。「芥子の種ならいくらでもありますが、私の家でも、去年父を亡くしました」「数年前に子を失いました」……。
夕暮れ時、彼女は気づきました。芥子の種はどこにでもあるが、「死人を出したことのない家」など、この世に一つも存在しないのだということに。
この瞬間、彼女の視点は「なぜ私だけがこんな目に」という狭く暗い独房から解き放たれ、生老病死という抗えない運命を共有する「全人類の繋がり」の中へと開かれました。自分の悲しみが、実はこの世界を生きる全ての命が分かち合っているものであると悟ったとき、彼女の執着は消え、ようやく愛する我が子を弔い、心の平穏を取り戻すことができたのです。
私たちは困難に直面したとき、自分の苦しみを「特殊で孤独なもの」として捉え、殻に閉じこもってしまいがちです。しかし、キサー・ゴータミーが芥子の種を通じて知ったように、私たちの痛みは、他者と深く繋がるための「共感の種」でもあります。この広い視野こそが、あなたを本当の意味での自由と癒やしへと導いてくれるのです。

心を自由に羽ばたかせるために解き放ちたい、いくつかの思い込み
美と心の豊かさの恩恵を受け取る過程で、多くの人が無意識のうちに抱いてしまう誤解があります。ここでそれらを整理し、より自由に心を羽ばたかせるための視点を持ってみましょう。
最も多い誤解は、「素晴らしい作品を楽しむためには、専門的な知識や歴史的背景を知らなければならない」という思い込みです。知識は鑑賞の助けにはなりますが、決して必須条件ではありません。あなたがその色や形を見て、心がどう動いたかという純粋な反応こそが最も尊いのです。知識がないからと気後れする必要は全くありません。
また、「心の豊かさとは、常に前向きで全く落ち込まない状態を維持することだ」という誤解もよく見受けられます。悲しみや迷いを無理に消し去る必要はありません。それらの感情を自分の一部として優しく受け止めることこそが、本当の意味での健康な状態です。
ゴータマ・シッダールタ(ブッダ)氏の教えの中でも、現代の私たちが陥りがちな「思考の迷路」を鮮やかに解き明かすのが、この「毒矢の喩え」です。
弟子のマールンキヤプッタ氏は、知的好奇心が強すぎるあまり、「世界は永遠なのか」「死後の世界はどうなっているのか」といった、人間の知性では答えの出ない形而上学的な問いに執着してしまいました。そして、「この答えを教えてくれないなら、修行をやめてやる!」とブッダに詰め寄ったのです。
それに対し、シッダールタ氏はこう諭しました。 「マールンキヤプッタよ、ある人が毒矢に射られたとしよう。家族が医者を呼んできたとき、その人が『矢を抜く前に、射たのは誰か、弓の材質は何か、矢羽は何の鳥の羽かを知るまで、矢は抜かせない』と言い張ったらどうなるか。その人は、答えを知る前に毒が回って死んでしまうだろう」
この喩えは、私たちの人生における「優先順位」を厳しく、かつ慈悲深く問いかけています。
私たちが困難や悲しみに直面したとき、つい「なぜこんなことが起きたのか」「あの人の意図は何だったのか」という分析や、変えられない過去の解明に全エネルギーを注いでしまい、心がさらに疲弊してしまうことがあります。しかし、ブッダ氏が説いたのは、「何よりもまず、今刺さっているその矢(苦しみ)を抜くことに集中せよ」ということです。
「なぜ?」という理屈に逃げ込むのではなく、今、痛みを感じている自分を癒やすための行動(休息、美に触れること、呼吸を整えること)を最優先にする。原因の分析は、心が健やかさを取り戻した後でも遅くはありません。この「徹底したリアリズム(現実主義)」こそが、不確かな現代を軽やかに生き抜くための、最も強力な武器となるのです。
私たちも日常において、過去の出来事の理由や他人の感情を分析することに時間を費やし、今ここにある自分の心の痛みを癒すことを後回しにしがちです。原因を探るよりも、まずは美しいものに触れ、心地よい音色を聴いて、自分の心を癒すことを最優先にしてください。シッダールタ氏は「心はすべてを引き寄せる。私たちは自分が考えたものになる」という言葉も残しています。あなたの心が美しいもので満たされれば、あなたの人生もまた美しいものへと変化していくのです。
生命の歓びを日常に描き出すための、ささやかな実践と特別な空間
ここまで、古代インドの偉大な教えを交えながら、私たちの命を輝かせるための視点をお伝えしてきました。今回の内容の重要な視点を3つに集約いたします。
- 心身のバランスを保ち、極端な無理や思い込みを手放すこと。
- 自らの五感を意図的に開き、今この瞬間の美しさを純粋に味わうこと。
- 悲しみや迷いといった感情も否定せず、それを受け入れることで命の輝きに変えていくことです。
これらを日常に落とし込むための、今すぐにできる小さな行動の具体案をご提案します。今日、ご自宅にある最もお気に入りの日用品(手触りの良いマグカップやガラスの器など)を両手で包み込むように持ち、1分間だけその温度と重さをじっくりと味わいながら、ゆっくりと深呼吸をしてみてください。このささやかな時間が、あなたの心を今ここに引き戻し、命のエネルギーを優しく循環させてくれます。
手塚治虫氏が描いた漫画『火の鳥』の中で、登場人物が語るこのような名言があります。「命は長さじゃないのよ。どう生きるかってことなのよ」。この言葉の通り、私たちに与えられた時間をいかに豊かな感情で彩るかが、人生の本当の価値を決めるのです。このささやかな実践が、あなたの明日をさらに美しく彩るきっかけとなるはずです。
最後に、日本が誇る素晴らしい空間を1つご紹介します。京都府京都市下京区にある「龍谷大学 龍谷ミュージアム」です。この施設は、日本初の仏教総合博物館として開館しました。外観は京町家をモチーフにしたセラミックのすだれが特徴的で、西日の直射を防ぐ省エネ設計となっており、「京環境配慮建築物最優秀賞」を受賞した美しい建築です。
最大の見どころは、展示空間にある「ベゼクリク石窟大回廊復元展示」です。中国・新疆ウイグル自治区のトルファンにある代表的な遺跡、ベゼクリク石窟寺院の極彩色の回廊壁画が、最先端のデジタル技術によって実物大で復元されています。実際にコの字型の回廊を歩くことができ、古代の人々が祈りを捧げた壮大な空間を全身で体感することができます。また、館内のエントランスホールは石や木、金属などの素材をバランス良く組み合わせたモダンな空間となっており、訪れる人の心を優しく落ち着かせてくれます。京都を訪れた際は、ぜひこの素晴らしい空間で、時空を超えた美と祈りのエネルギーに触れてみてください。

最後に、あなたへ大切なメッセージをお伝えします。
愛と使命を両立するあなたへ。
私たちがこの世に生まれてきた理由は、
決して苦しんだり、人を恨んだり悲しんだり、傷つけ合ったりするためではありません。
命とは、喜びを味わうために生まれてきたものです。
命の温かさを感じ、知り、「生きててよかった」とほっとして、安心してニコニコ笑うために生まれてきたのです。
私たちは、絶対的に今世の命を楽しむべきなのです。
『愛のある場所でこそ、人は生きる力を得る。』
『人生とは、喜びという宝物を探す旅である。』
『温かな感情は体温を上げ、人を幸せへ導く。』
どうぞ忘れないでください。
『あなたは、神様がつくった最高傑作』です。
あなたの命が、これからも喜びというパワフルなエネルギーで満たされ、温かな笑顔とともに輝き続けることを心から願っています。

私は、「人は幸せになるためにのみ、この世に送り出された」という揺るぎない確信を持ったアーティストです。
愛や喜びは、抽象的な概念などではなく、私たちの「生命維持に不可欠な根源」だと考えています。
だからこそ、私のアートやメッセージには、あなたの存在そのものを絶対的な価値として全肯定するエネルギーを込めています。
あなたがいつも、大いなる愛と光に守られていますように。
そして、あなたの大切な命の時間が、たくさんの幸運と共にありますように。
nao
【参考情報、引用元】
- 東北芸術工科大学(文化庁補助事業:温泉地を舞台にした持続可能な「アート&ウェルビーイング」人材育成プログラム)
- こここ(表現×ケア×テクノロジーのこれからを考える「Art for Well-being」が福祉施設と協働する技術者を募集中。6月15日まで)
- SBIメディック(「医療×アート」持続可能なウェルビーイング実現を目指す初の共同企画 ~アートが及ぼす心身のポジティブな変化を体験~)
- SBIウェルネスバンク(「元気をもらえるアート」持続可能なウェルビーイング実現へ初の共同企画(SBIウェルネスバンク))
- SBIホールディングス(「元気をもらえるアート」持続可能なウェルビーイング実現へ初の共同企画)
- 名言+Quotes(ブッダの名言・格言)
- ダンマパダ(真理の言葉)
- Wikipedia(ゴータマ・シッダールタ)
- Wikipedia(中道)
- Wikipedia(スジャータ)
- Wikipedia(キサー・ゴータミー)
- Wikipedia(無記)
- 講談社コミックプラス(火の鳥)
- 龍谷大学 龍谷ミュージアム(施設・建築について)
- 龍谷大学 龍谷ミュージアム(ベゼクリク石窟大回廊復元展示)
- アイエム[インターネットミュージアム](龍谷ミュージアム)
- ほとんど0円大学(仏教って何? に優しく応える博物館「龍谷ミュージアム」)
- きょうと修学旅行ナビ(龍谷大学 龍谷ミュージアム)
- そうだ 京都、行こう。(龍谷大学 龍谷ミュージアム)
- The KANSAI Guide(龍谷大学 龍谷ミュージアム - 見どころ、交通 & 周辺情報)
-
NHK(ブッダ 悩みの正体 - 過去を追わず未来を願わず)
-
読売新聞オンライン([時代の証言者]ブッダの言葉…「今」を大切に生きる)
-
大本山 弘法寺(一夜賢者経:今この瞬間を生きる智慧)
-
武蔵野大学(仏教における「今」の捉え方:一夜賢者経を中心に)
- 全日本仏教会(仏教の基礎知識:中道)
- NHK(ブッダ 悩みの正体 - 苦行を捨て「中道」へ)
- 浄土真宗本願寺派 浄土真宗の教え(琴の弦の教え:精進のあり方)
- 武蔵野大学 仏教Q&A(「中道」とはどのような教えですか?)
- 日本マインドフルネス学会(マインドフルネスとは)
- ダイヤモンド・オンライン(「エッセンシャル思考」で人生をシンプルにする)
- ライフハッカー[日本版](「今この瞬間」を存分に味わう技術:セイバリングの効果)
- サワイ健康推進課(五感を研ぎ澄ます「マインドフルネス」のススメ)
- 日本経済新聞(渋澤健:一服のお茶がもたらす「しずかなるこころ」)
- ダイヤモンド・オンライン(渋沢栄一の玄孫・渋澤健が「茶道」を続ける意外な理由)
- Commons Asset Management(会長 渋澤健のコラム:『しずかなるこころ』への旅)
- サライ.jp(金融のプロ・渋澤健さんが「茶の湯」に惹かれたわけ|多忙な日常に『静』を創り出す)
- 日経ビジネス(経営者のための「茶の湯」入門:コモンズ投信・渋澤健会長)
- コモンズ投信株式会社(渋澤健の「しずかなるこころ」:第1回「茶の湯」との出会い)
- プレジデントオンライン(渋沢栄一の玄孫が語る、激動の時代に「静かな心」を取り戻す茶の湯の習慣)
- NHK(100分de名著 ブッダ 真理の言葉:苦行の否定と中道の発見)
- 全日本仏教会(お釈迦さまの生涯:スジャータの乳粥)
- 築地本願寺(成道:お釈迦さまが悟りを開くまでの道のり)
- パキスタン大使館(ラホール美術館所蔵「断食するシッダールタ」解説)
- 婦人公論.jp(室井滋「30代、40代、心が折れそうな私を救ってくれたのは仏像でした」)
- 読売新聞オンライン(室井滋さん、十一面観音像と対面して涙…「仏像は心の鏡」)
- 産経ニュース(【室井滋の直撃鼎談】仏像は「心のサプリメント」 多忙な日々の救いに)
- NHKアーカイブス(ブッダ 悩みの正体 - 誰も死なない家はない)
- 曹洞宗公式 曹洞禅ネット(キサー・ゴータミーと芥子の種:悲しみの共有)
- ダイヤモンド・オンライン(なぜ「私だけが不幸」という思い込みは、小さな芥子の種で消えたのか)
- 浄土宗(仏教のお話:キサー・ゴータミーの悟り)
- NHK(ブッダ 悩みの正体 - 毒矢のたとえ)
- 全日本仏教会(仏教の教え:毒矢のたとえ)
- ダイヤモンド・オンライン(仕事の「悩み」を一瞬で消すブッダの究極の思考法)
- 武蔵野大学(仏教と現代社会:毒矢のたとえに見る問題解決の優先順位)





