自分の姿を、絵に描いてもらう。
写真もスマートフォンもない時代から、人はずっと、自分や大切な人の姿を描いてもらってきました。
この記事では、2000年ほど前のエジプトから、ヨーロッパの商人たち、日本の禅のお寺、そしていまの美術館まで、肖像画の歴史をたどります。人はなぜ、肖像画を描いてもらってきたのか。そのことを考えてみたいと思います。
2000年前のエジプトで描かれた、まなざし
いまに残る肖像画のなかでも、とても古いもののひとつが、エジプトの「ファイユームのミイラ肖像画」です。
ローマ帝国がエジプトを治めていた時代、紀元前1世紀の終わりごろから、3世紀ごろまでに描かれたと考えられています。木の板に、蜜蝋に顔料をまぜて描く「エンカウスティーク」や、卵を使う「テンペラ」という技法で描かれ、ミイラの顔の上にはめこまれました。
1887年から1911年にかけて、イギリスの考古学者フリンダーズ・ピートリーが、ファイユーム地方のハワラで数多く発見しました。いま知られているのは、1,000点に満たないほどです。ニューヨークのメトロポリタン美術館、ロンドンの大英博物館、パリのルーヴル美術館、カイロのエジプト博物館などに収められています。
大きな目で、まっすぐこちらを見つめる顔。2000年たったいまも、その人が「ここにいた」ことが伝わってきます。
商人たちが、自分の姿を描いてもらった時代
15世紀のヨーロッパでは、絵の多くは教会のための宗教画でした。そのなかで、ゆたかになった商人たちが、自分の姿を描いてもらうようになります。
よく知られているのが、1434年にヤン・ファン・エイクが描いた《アルノルフィーニ夫妻の肖像》です。ロンドンのナショナル・ギャラリーによると、描かれているのは、ブルッヘ(いまのベルギー)で働いていたイタリアの商人ジョヴァンニ・ディ・ニコラオ・アルノルフィーニと、その妻とみられています。
部屋に置かれた品々は、ひとつひとつ選びぬかれ、ふたりのゆたかさや立場をあらわしています。奥の壁の丸い鏡の上には、画家の署名も書きこまれています。ナショナル・ギャラリーは、1842年にこの絵を国のお金で買い入れました。
同じ美術館の学芸員は、本当に「その人らしい」と感じられる肖像画が生まれたのは、1430年代のファン・エイクの仕事からだ、と語っています。
仲間みんなで描いてもらった、レンブラントの《夜警》
17世紀のオランダでは、組合や町の自警団などが、仲間みんなの姿を一枚に描いてもらう「集団肖像画」がさかんになりました。
その代表が、1642年にレンブラントが完成させた、いわゆる《夜警》です。正式には《フランス・バニング・コック隊長の市民隊》といいます。アムステルダムの市民隊の集会所に飾るために、隊長と隊員たちが注文し、お金を出しあって描いてもらいました。背景の盾には、絵のためにお金を出した人たちの名前が書かれています(盾はあとから描き加えられたものです)。
じつは、この絵は夜の場面ではありません。表面のニスが年月とともに暗くなり、夜のように見えたことから、「夜警」と呼ばれるようになりました。いまはアムステルダム国立美術館の、いちばん大切な作品のひとつです。
日本の肖像画 ― 師から弟子へ渡された「頂相」
日本の肖像画の歴史で、とても大切なもののひとつが、禅のお坊さんの肖像画「頂相(ちんそう)」です。
師が自分の肖像画に言葉(賛)を書き、教えを受けついだ弟子に渡す。頂相は、そうして教えが受けつがれたことのあかしとして、大切にされてきたと考えられています(研究者のあいだでは、その役割についてさまざまな考え方があります)。弟子は、師の命日などにその絵を掛けて、供養しました。
12世紀の終わりごろから、中国で学んだ日本のお坊さんが、師の頂相を持ち帰るようになります。鎌倉時代の終わりごろからは、とくに臨済宗で頂相がさかんに描かれました。
京都の神護寺には、国宝の肖像画「神護寺三像」が伝わっています。そのひとつは、長く「源頼朝像」として知られてきました。作者は、似絵(にせえ)の名手・藤原隆信と伝えられてきましたが、いまでは作者も、描かれた人物も、研究者のあいだで議論が続いています。それでも、ほぼ等身大で描かれた堂々とした姿は、見る人の心をつかみ続けています。
肖像画だけを集めた美術館
肖像画のための美術館もあります。
1856年、ロンドンに「ナショナル・ポートレート・ギャラリー」がつくられました。肖像画を専門にした国立の美術館としては、世界ではじめてのものとされています。最初に収められたのは、シェイクスピアを描いたと伝えられる「シャンドスの肖像」でした。
アメリカのワシントンD.C.にも、スミソニアン協会のナショナル・ポートレート・ギャラリーがあります。2018年、オバマ元大統領とミシェル夫人の肖像画が公開されると、ひと目見ようと多くの人がつめかけました。この年度の来館者は200万人をこえて、過去最多になりました。2013年からの年間平均(約110万人)の、およそ2倍です。
一枚の肖像画が、これほど多くの人の心を動かす。肖像画には、いまも大きな力があるのだと思います。
肖像画が、のこしてきたもの
エジプトのミイラ肖像画は、その人が生きていたことを。アルノルフィーニ夫妻の肖像は、ふたりが築いてきた暮らしを。《夜警》は、仲間とのつながりを。頂相は、師から弟子へ受けつがれた教えを。
こうしてふり返ると、肖像画は、ただ顔かたちを写すだけのものではなかったことがわかります。その人が何を大切にし、どう生きてきたのか。そして、それを誰に伝えたいのか。肖像画には、そうした想いがこめられてきました。
わたしが描いているのも、その人の姿だけではありません。お話をうかがいながら、その人が大切にしているものや、歩んできた道、これから向かいたい場所を感じとり、色と形にしていきます。
ご自身や、大切な方のための一枚は、PERSONAL ORDER ARTのページで、会社や事業のための一枚は、BUSINESS ARTのページで紹介しています。
【参考にした情報・引用元】
Wikipedia英語版(Fayum mummy portraits)/Brooklyn Museum(Woman with Earrings)/Molecules(2021年、ミイラ肖像画の放射性炭素年代測定の研究)
ナショナル・ギャラリー(Jan van Eyck, The Arnolfini Portrait, 1434)
アムステルダム国立美術館(Night Watch in detail)/ブリタニカ百科事典(The Night Watch)
京都国立博物館(頂相の展示解説)/メトロポリタン美術館(Portrait of Kyūzan Sōei)/コトバンク(頂相・印可)
キヤノン 綴プロジェクト(神護寺三像)/和樂web(神護寺三像)/artscape(伝源頼朝像)
Wikipedia英語版(National Portrait Gallery, London)
Hyperallergic(Obama Portraits Double Annual Attendance at the National Portrait Gallery)/スミソニアン協会 ナショナル・ポートレート・ギャラリー(開館50周年の発表)
