瀬織津姫の清らかな流れが呼び覚ます生命の歓び──水と自然が織りなす美と調和

Contents

心を潤す美しい表現の力と、喜びに満ちた豊かな生き方への招待

私は、「人は幸せになるためにのみ、この世に送り出された」という揺るぎない確信を持っています。愛や喜びを、頭で考える概念ではなく、生命維持に不可欠な根源だと捉え、鑑賞者の存在そのものを絶対的な価値として全肯定するエネルギーを込めた表現やメッセージを日々発信しています。

近年、世界中で人間の内面的な豊かさや、心を潤す表現の価値が改めて見直されています。

2024年2月14日、東京の国立新美術館において「マティス 自由なフォルム」展が開幕しました。色鮮やかな切り紙絵が作り出す圧倒的な空間は、訪れた多くの人々に純粋な驚きと生きる喜びを与えました。視覚を通じて飛び込んでくる鮮烈な色彩は、鑑賞者の大脳辺縁系を直接的に刺激し、日常の重圧によって滞っていた感情を瞬時に解き放ちました。その結果、会場を後にする人々の足取りは軽くなり、表情は明るさを取り戻し、明日へ向かうための力強い生命エネルギーが満たされるという素晴らしい効果を生み出しました。

続く2024年3月1日には、東京のアーティゾン美術館にて「ブランクーシ 本質を象る」展が開幕し、研ぎ澄まされた純粋な形の美しさが、鑑賞者の心に深い調和と安らぎをもたらす歴史的な展示として絶賛されました。一切の無駄を削ぎ落とした滑らかな造形と向き合うことで、情報過多な現代社会で疲弊していた人々の脳内が整理され、深い瞑想のような状態へと導かれました。呼吸が自然と深くなり、自律神経の働きが整うことで、漠然とした不安が消え去り、他者に対する寛容さや自分自身を全肯定する圧倒的な心の平穏を取り戻すという恩恵がもたらされたのです。

さらに、2024年7月12日には、青森県の弘前れんが倉庫美術館において「蜷川実花展 with EiM:儚くも煌めく境界」が開幕し、光と色彩が溢れる幻想的な空間が、地域を越えて多くの人々に深い感動と命の輝きを届ける素晴らしい機会となりました。圧倒的な没入感をもたらす光の空間に身を委ねることで、来場者たちは無意識のうちに抑え込んでいた複雑な感情を安全に外へと解放することができました。色彩の波に包まれて思わず涙を流す方も多く、その感動はストレスの原因となる物質を体外へ排出し、結果として「ただ生きているだけで素晴らしい」という根源的な幸福感と、日常を創造的に生き抜くための活力を劇的に向上させるという大きなメリットを生み出しました。

このように、世界は目に見える物質的な発展から、目に見えない心の豊かさへと大きな転換期を迎えています。ご自身の人生における生きがいや、喜び、感動を何よりも大切にされ、より自分らしい人生を心から楽しみたいと願うあなたにとって、この社会的な変化は大きな希望となるはずです。日々の責任あるお立場や、ご家族や周囲への温かな気配りの中で、ご自身の感情を後回しにしてしまうこともあるかもしれません。しかし、あなたの内側には、素晴らしい感動を味わうための生命エネルギーが常に満ち溢れています。

この記事をお読みいただくことで、あなたの心に眠る豊かな感性が息を吹き返し、日常のあらゆる場面で美しい表現の力を通じてご自身の状態を高める方法が明確になります。私たちが心身ともに満たされた状態であるウェルビーイングを実現するためには、古いものを手放し、新しいものを受け入れるための「循環」が必要です。日本の古典文学を代表する随筆家である清少納言氏は、著書の中で次のような美しい言葉を残されています。

「川は、飛鳥川。淵瀬もさだまらず、いとはやく流れたる、いとをかし」

この言葉は、「川といえば、飛鳥川が素晴らしい。水が深くよどんだ淵と、水が浅く急流になっている瀬が、常に変化して定まらず、とてつもない速さで勢いよく流れていく、その姿こそがたまらなく美しい」という意味を持っています。飛鳥川は、雨が降るたびに川底の形が変わり、昨日までよどんでいた深い淵が、今日は清らかな浅瀬に変わってしまうような、劇的な変化を繰り返す川として古くから知られていました。

清少納言氏がここで見出したのは、とどまることなくすべてを押し流し、一瞬たりとも同じ状態に執着しない「変化の美学」です。人間の心も、この飛鳥川と全く同じです。私たちの日常には、喜びや愛情があふれる日もあれば、どうしようもない悲しみや迷いに心が深く沈み込んでしまう日もあります。しかし、その感情を頭でコントロールして無理にせき止めようとすると、心の中に濁った水溜まりができてしまいます。

絶えず変化し、執着を手放してものすごい速さで流れていく川の姿そのものに、人間は深い美しさと圧倒的な爽快感を見出します。流れる水は決して同じ状態に留まることはなく、過去の感情を押し流すことで、常に新しい命のエネルギーを迎え入れることができるのです。この「清らかな流れ」と「滞りを許さない循環の力」を神格化した存在こそが、日本古来の神である瀬織津姫(せおりつひめ)です。本記事では、この瀬織津姫が持つ流す力を道標として、アートの力であなたの人生をより一層輝かせるための旅へとご案内いたします。

瀬織津姫が司る壮大な循環──水と自然のエネルギーがもたらす心の平穏

日々の暮らしの中で、心を打つ表現と出会うことと、自分自身が深く満たされた状態であるウェルビーイングを育むことは、一本の川のように途切れることなく繋がっています。キャンバスに広がる色彩や精巧な造形といったアートは、単なる物質としてそこに存在しているわけではありません。それは、形を生み出した表現者の情熱と、それを真正面から受け止めるあなたの命の波長が、深く共鳴し合う見えない交流の場なのです。一方で、心身が本当に整った豊かな状態とは、あなたという存在そのものがただそこに在るだけで尊く、内側から生きる喜びがあふれ出していることを指します。

この美しい表現の力と、ご自身の豊かな状態が一つに重なり合う時、私たちは日常を力強く生き抜くための、尽きることのないエネルギーの源泉に触れることができます。効率や論理ばかりが優先されがちな現代社会において、理由はわからないけれど「心地よい」「ただただ美しい」と心が揺さぶられる瞬間は、知らず知らずのうちに渇いていた私たちの感情の器をたっぷりと潤し、明日へと踏み出すための温かな活力を注ぎ込んでくれるのです。

この生命エネルギーの循環を、日本という国において最も美しく象徴しているのが瀬織津姫という存在です。瀬織津姫は、古くから神社で奏上される大祓詞に登場する水の神であり、川の早瀬に座しているとされています。その大いなる働きは、人々の心に溜まった重荷や、知らず知らずのうちに背負ってしまった澱みのようなものを、川の急流に乗せて広大な海へと清らかに流し去ることだと語り継がれています。

水は、地球上のすべての生命の源です。山に降った雨が川となり、海へと注ぎ、やがて水蒸気となって再び空へと還っていく。この壮大な水の循環は、人間の心の中にある感情の循環と全く同じ構造を持っています。嬉しいこと、悲しいこと、迷いや喜びといったすべての感情は、水のように流れていくのが自然な姿です。しかし、私たちが思考の力で感情をせき止めてしまうと、心の中に澱みが生まれてしまいます。瀬織津姫の教えは、どのような感情も否定せず、ただ水に預けてさらさらと流し去ることの尊さを私たちに伝えています。

この水と自然の持つ圧倒的な包容力を深く理解し、生涯をかけて形にし続けた人物がいます。江戸時代前期の僧侶であり、卓越した表現者でもあった円空氏です。円空氏は、全国の山や川を巡り歩きながら、生涯で12万体にも及ぶ木彫りの仏像、いわゆる「円空仏」を残しました。彼の素晴らしいところは、高価で立派な木材を求めたのではなく、川に流れ着いた流木や、人々が見向きもしないような木の切れ端を大切に拾い上げ、そこに独自の美を見出したことです。

円空氏が生きた時代、庶民の暮らしには多くの困難が伴っていました。彼は修業の旅の途中で、日々の生活に疲弊し、心に重い澱みを抱えた数え切れないほどの人々と出会いました。そんな彼らの心を潤すため、円空氏は川辺に流れ着いた流木を手に取りました。それは、川の急流を越え、岩にぶつかりながら削られ、瀬織津姫の清らかな水に幾度も洗われて岸にたどり着いた木々です。

彼は、その自然が作り出した不規則な形や、川の流れが刻んだ傷を全く隠そうとはしませんでした。無理に美しい形へと整えるのではなく、木のありのままの姿を全肯定し、鉈を力強く振るってほんの少し手を加えるだけで、穏やかな微笑みをたたえる仏像を次々と彫り出したのです。それは、水がもたらした命の欠片に、人間の深い愛と祈りを吹き込む行為でした。

完成した仏像は、決して立派な場所に飾られるのではなく、その土地で懸命に生きる農民や村の人々に直接手渡されました。人々は、自分たちの暮らしのそばにある見慣れたただの流木が、誰も見たことのない温かな表現へと昇華されている姿に深く感動しました。そして、その素朴な木のぬくもりと、すべてを許容するような優しい微笑みに触れた瞬間、彼らが抱えていた心の重荷は、まるで川の水に洗い流されるかのようにすーっと消えていったのです。

役目を終えて岸に流れ着いた流木が、慈愛に満ちた美しい表現へと生まれ変わる。その「水がもたらした命の循環」を直接その手で受け取った人々は、無理に抱え込んでいた感情の滞りを、きっと自然と手放すことができたのでしょう。どんなに傷ついても、激しい川に流されても、命はこんなにも美しい。その事実を目の当たりにすることで、彼らは自らの存在を深く肯定し、明日を生きるためのあたたかな活力を満たしていったに違いありません。

水によって運ばれてきたどのような出来事も、あるがままに受け入れ、そこに最高の美しさを見出すこと。円空氏のこの生き方は、私たちが心身を満たすための核心を見事に突いています。彼が人々の幸せを願って生み出した12万体もの温かな表現は、時を超えた現代においても、私たちの内側に滞っていたものを洗い流し、清らかなエネルギーで満たしてくれる最高のプロセスとして、多くの人の心を潤し続けているのです。

感情の滞りを解き放つ3つのステップ──日常を喜びに変える実践的なアプローチ

では、この壮大な生命エネルギーを、私たちはどのようにして日常に落とし込めばよいのでしょうか。日々の業務や生活のなかで、私たちはどうしても正解を探す思考回路に偏りがちです。理屈で物事を処理し続けると、心は次第に硬直してしまいます。この状態から抜け出し、良い状態を高めるためには、以下の3つの段階的なアプローチが非常に有効です。

1つ目の段階は、水のエネルギーを通じてご自身の身体感覚を完全に開くことです。朝起きた時や休息の際、一杯の水をゆっくりと飲む時間を持ちます。その時、冷たい水が喉を通り、身体の隅々まで染み渡っていく感覚にただ意識を向けます。科学的な相関として、基礎代謝が上がり体温が0.5度上昇すると、運や幸福感に良い影響を与えることが示唆されています。身体の感覚を開くことで、固まっていた心も少しずつ柔らかさを取り戻します。

2つ目の段階は、美しい表現に触れ、心を意図的に動かすことです。休日に美術館を訪れたり、自然の豊かな場所へ足を運んだりして、美しい色彩や造形、風景に没入する時間を作ります。この時、作品の歴史的背景を正しく理解しなければならないといった思考の力みは必要ありません。ただ、目の前の美しさに触れて、ご自身の心がどのように動いたかという事実だけを大切にします。

3つ目の段階は、湧き上がった感情を瀬織津姫の川のようにさらさらと流すことです。美しいものに感動した喜びも、あるいはふと思い出した過去の悲しみも、無理に心に留めておく必要はありません。「ああ、私は今こんな風に感じているのだな」とあるがままに受け止め、息を吐き出すとともにすべてを水に流すイメージを持ちます。

この感覚を日常の中で見事に実践していたのが、昭和を代表する随筆家である白洲正子氏です。彼女は「かくれ里」と呼ばれるような、人が容易には足を踏み入れない日本の奥深い自然や、古くから信仰を集める美しい水辺を求めて旅を続けました。彼女の旅は、書物から得た知識を頭で確認するためのものではなく、その土地が持つ風土や、絶え間なく流れる水のエネルギーを直接身体で受け取るための大切なプロセスだったのです。

白洲正子氏は、山の奥深くにある清らかな滝や、苔むした岩の間を縫うように流れる小川のそばに立つことを好みました。彼女はそこで、目の前にある景色の歴史や意味を論理的に分析しようとする思考を完全に手放しました。ただ全身の力を抜き、風が運ぶ水しぶきの冷たさを肌で感じ、川が岩を打つ音にじっと耳を傾けたのです。それは、自然が作り出す究極のアートに身を委ね、心の中に溜まっていた日常の細かな雑念や執着を、瀬織津姫が司るような清らかな水にすべて預けて流し去る時間でした。

水が流れるように自らの感性を解放することで、彼女の心身は一切の濁りがない透明な状態へと戻り、そこに尽きることのない美意識と創造力が湧き上がってきました。彼女が書き記した文章の数々は、決して理屈っぽくなく、まるで湧き水のように瑞々しい生命力に満ちています。自らの感情をあるがままに水に流し、自然と深く共鳴し続けることで、彼女は生涯を通じてご自身のウェルビーイングを高く保ち続け、多くの人の心を打つ素晴らしい表現を生み出していったのです。

白洲正子氏が示しているように、美しい表現や自然の前に立ち、身体の力をゆるめながら、その喜びに静かに心を委ねる時間を持つこと。思考を少し手放し、感情を水の流れのように解き放つことで、ばらばらになっていた心と身体はゆるやかに調和を取り戻し、内側の生命力が少しずつ満ちてくるのを感じられるでしょう。

水の表現がもたらす深い癒やし──自然と共鳴し、行動を変える力

美しい表現を通じて感情を解放し、人生の質を高めた実例は、歴史上にも数多く存在します。ここで、水の表現を通じて人々の心に圧倒的な平穏をもたらした偉大な人物の軌跡をご紹介します。それは、江戸時代後期に活躍した浮世絵師、歌川広重氏の物語です。

歌川広重氏は、日本各地の風景を叙情豊かに描き出し、多くの人々の心を魅了しました。彼が最も得意としたのは、雨や川、海といった「水」の表現です。彼の代表作である名所江戸百景の中には、突然の夕立に見舞われた橋の上の人々を描いた大はしあたけの夕立という傑作があります。

この作品で歌川広重氏は、激しく降る雨を無数の直線で表現し、さらに「ベロ藍」と呼ばれる深く鮮やかな青色を用いて川の水面を描き出しました。この透き通るような青色は、のちに海を渡り、海外の多くの表現者たちに衝撃を与え、「ヒロシゲブルー」と称賛されることになります。彼が描いたのは単なる風景ではなく、自然の雄大な力と、その中で生きる人々の息遣いそのものでした。

実は、歌川広重氏はこの連作を手がける直前の晩年に、仏門に入り頭を丸めています。若くして両親を失い、武士としての家督を継ぐなど、波乱に満ちた人生を歩んできた彼は、人生の最終章において世俗の執着や名誉をすべて手放しました。自らの心にある澱みをすっきりと水に流し、ただありのままの自然と真っ直ぐに向き合うという、極めて澄み切った境地に達していたのです。

だからこそ、雨に打たれながら橋を急ぐ人々の姿は、一見すると大変そうに見えますが、絵全体には不思議なほどの穏やかさと調和が漂っています。それは、歌川広重氏自身が、激しい夕立や川のうねりといった自然の営みを、「人間の力ではどうすることもできない大いなるもの」として受け入れ、さらには「世界を洗い清めてくれる恵み」として完全に肯定していたからなのではないでしょうか。大いなる流れに逆らわず、ただ身を委ねる彼の心の平穏が、そのまま画面からあふれ出しているのです。

当時の人々は、彼の描く浮世絵を手に取り、そこに描かれた清らかな水の青さや、雨の美しさに心を奪われました。日常生活の中でさまざまな重荷や人間関係の摩擦を抱えていた人々は、歌川広重氏の表現を通じて自然の美しさに触れ、自らの心の中にあったわだかまりが、絵の中の川の水と共にさらさらと流れていくのを感じていたことでしょう。

現代の環境心理学の分野においても、自然の風景や水辺の画像を鑑賞することが、人間の心身にどのような影響を与えるかについての報告が多数存在します。美しい自然の風景を取り入れた環境では、人々のストレス指標が10パーセント以上軽減され、表情が和らぎ、周囲とのコミュニケーションが円滑になるという具体的な行動の変化が確認されています。

歌川広重氏の作品が、時代を超えてこれほどまでに愛され続けているのは、執着を手放した彼が描く水の世界が、瀬織津姫が司るような壮大な浄化のエネルギーに満ちているからです。私たちがご自身の生活環境に、心から美しいと感じる水辺の風景画や、青色が印象的な作品を1枚飾るだけで、そこから受けるエネルギーの質は劇的に変わり、結果として行動や生み出す成果に驚くべき好転がもたらされるのです。

豊かな感性を育む過程で生じやすい迷いと、心を自由にする視点

美しい表現や精神性を日常に取り入れ、ご自身の状態を高める過程において、多くの人が無意識のうちに抱いてしまう誤解がいくつか存在します。ここでそれらの疑問を整理し、より自由に心を羽ばたかせるための視点を見つめ直してみましょう。

最も多い誤解の1つは、素晴らしい作品を楽しむためには、専門的な知識や高度な教養が不可欠であるという思い込みです。作品の背景を知ることは有意義ですが、それは必須条件ではありません。最も大切なのは、知識ではなく心がどう反応したかという事実に尽きます。あなたの胸が微かに高鳴ったり、温かい気持ちになったりしたのなら、それはあなたの感性が作品のエネルギーと完璧に共鳴した証拠なのです。

また、豊かな状態とは、常に清らかな心を持ち続けなければならない状態だという誤解も頻繁に見受けられます。水は、激しい雨が降れば濁ることもありますし、時には流れが滞ることもあります。しかし、流れ続けることでやがて濁りは取れ、再び清らかな水へと戻っていきます。人間の心も全く同じです。

昭和の時代に世界的な評価を受けた表現者である棟方志功氏は、自らの感情や背負った運命を隠すことなく、極めて純粋に表現し続けた人物です。彼は青森県の鍛冶職人の家に生まれ、幼い頃から極度の弱視という困難な境遇を抱えていました。しかし彼は、その見えづらい目を嘆くのではなく、与えられた命の形をありのままに受け入れました。青年期にゴッホの絵に強い衝撃を受け、表現の道を志して上京した彼は、やがて自らの魂をぶつける最も自然な方法として、木の板と真っ直ぐに向き合う表現へとたどり着きます。

棟方志功氏は、自らの作品を一般的な版画ではなく、木の板の命を活かすという意味を込めて「板画(はんが)」と呼びました。それは、自分の頭で考えた理屈や図案を無理やり押し付けるのではなく、板そのものが持つ自然のエネルギーをそのまま引き出すという、大いなるものへの敬意から生まれた哲学です。極度の弱視であった彼は、板に顔が触れるほどの距離で、湧き上がる情熱や喜び、時には激しい怒りや悲しみといった感情をそのまま板にぶつけるようにして作品を彫り上げました。

彼は制作の際、論理的な思考を完全に停止させました。一心不乱に筆を走らせ、猛烈な速さで彫刻刀を振るうその姿は、まるで自らの内側にある濁流のような感情のエネルギーを、一切せき止めることなく外へと放出しているかのようでした。立派なものを作ろうとか、他人の目を気にして美しく整えようとする思考を手放し、自分の中に湧き上がった命のエネルギーを、計算なしにそのまま表現したのです。自らの内面にあるドロドロとした葛藤すらも隠さず、一気に吐き出すように彫り進めることで、彼の心は常に清らかな状態へと還元されていました。その結果生み出された作品は、圧倒的な生命力に溢れ、見る者の心を激しく揺さぶります。

ご自身の内側にどのような感情が湧き上がっても、それを否定する必要はありません。複雑で濁った感情や、言葉にできない迷いであっても、無理に心の奥底へ押し込めるのではなく、棟方志功氏のように外へ出し、瀬織津姫の川に預けてさらさらと流してしまうことで、心は必ず清らかな状態へと戻っていくことができます。

誰かの評価を気にして自らの感情を抑え込むのではなく、ただその瞬間の「美しい」「好きだ」という直感を信じ切ること。自分の内側にある恐れを手放し、ありのままの感情を許容したとき、あなたの目の前に広がる日常の風景は、一瞬にして色鮮やかな喜びに満ちた宝物へと変わります。それこそが、心を解放し、人生を最高に楽しむための最大の鍵となるのです。

瀬織津姫の力が導く新たな一歩と、美しい環境との出会い

ここまで、瀬織津姫の清らかな流れをテーマに、美しい表現の力と、心身の豊かな状態の深い結びつきについてお話ししてきました。今回の内容の重要な視点は以下の3つに集約されます。

1つ目は、喜怒哀楽のすべての感情を否定せず、水のようにさらさらと流して循環させること。

2つ目は、美しいものに触れる際、思考を手放し、身体の感覚を開いて純粋な感動を受け取ること。

3つ目は、ご自身の身を置く環境を、自らの心を喜ばせる美しいもので満たし、調和の取れた空間としてデザインすること。

今日からすぐに始められる小さな行動の具体案として、このような実践をおすすめします。今夜、ご就寝の前に、ご自宅の洗面所で手を洗う際、水栓から流れる水の音に30秒間だけ深く耳を澄ませてみてください。そして、その透明な水が指先を伝って落ちていく様子を見つめながら、今日1日の疲れや迷いがすべて水と共に流れていくイメージを持ちます。このささやかな行動が、あなたの感覚を穏やかに整え、明日への活力を生み出す素晴らしいきっかけとなります。

宮崎駿氏が監督を務めたアニメーション映画『もののけ姫』の中で、次のような力強い言葉が登場します。「生きろ、そなたは美しい」あなたがどのような困難の中にあったとしても、命そのものが持つ美しさは決して失われることはありません。瀬織津姫の浄化の力を信じ、心を開けば、日常はいつでも喜びに溢れているのです。

この豊かな感性をさらに深く味わうために、ぜひ1度足を運んでいただきたい素晴らしい場所があります。それは、栃木県那須郡那珂川町の豊かな里山にひっそりと佇む「那珂川町馬頭広重美術館」です。この美術館は、自然の雄大な力を深く受け入れた歌川広重氏の作品をじっくりと堪能できるだけでなく、建物そのものが自然と見事に調和した圧倒的な建築美を誇ります。

設計を手がけたのは、世界的な建築家である隈研吾氏です。実は、彼がこの建物を設計する際、深いインスピレーションを受けたのが、先ほどご紹介した歌川広重氏の傑作『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』に描かれた、あの「雨を表現する無数の直線」でした。隈研吾氏は、広重氏が描いた自然の雨の線を、地元産の八溝杉を使った美しいルーバー(格子)として現代の空間に見事に蘇らせたのです。

美術館全体がこの木の格子で優しく包み込まれており、太陽の光や風、そして周囲の木々の揺らぎが、時間とともに刻一刻と表情を変えて内部へと差し込みます。雨の日には、杉の香りがより一層深まり、まるで広重氏が描いた絵画の世界そのものに入り込んだかのような、幻想的で穏やかな空気に包まれます。人工的な壁で自然を遮断するのではなく、光や風、そして雨や水の恵みをあるがままに受け入れるその建築思想は、まさに瀬織津姫のすべてを流して受け入れる清らかなエネルギーを体現したかのような空間です。

館内には、実業家であった青木藤作氏が収集した歌川広重氏の貴重な肉筆画や版画が静かに展示されています。木のぬくもりと柔らかな自然光に包まれた空間の中で、広重氏が描いた深い青色や清らかな水の表現と向き合う時間は、言葉では言い表せないほどの深い感動をもたらします。

ただその空間の空気を胸いっぱいに吸い込み、杉の格子の間から差し込む光と影の揺らぎを見つめる。そして広重氏が描いた水の世界に心を委ねる。それは間違いなく、あなた自身が抱えていた内なる感情の澱みをさらさらと流し去り、生命エネルギーを最高潮に充電する素晴らしい体験となるはずです。

瀬織津姫とは

瀬織津姫は、古くから神社の神事で奏上される「大祓詞」という祝詞の中に登場する、水と浄化を司る女神です。
神道において心身の滞りを清める「祓戸四神」と呼ばれる神々の中で、一番最初に登場する極めて重要な役割を担っています。
大祓詞の中で彼女は、山の頂から勢いよく流れ落ちる川の早瀬に座していると語り継がれています。
人々が知らず知らずのうちに抱え込んでしまった心の重荷や澱みが集まると、瀬織津姫はそれらを大海原へと勢いよく持ち出し、清らかに流し去ってくれます。

彼女は、私たちが抱える迷いや濁った感情に対して、理由を問いただしたり裁いたりすることは決してありません。
ただ静かに、そして等しく大自然の力で押し流し、すべてをあるがままに受け入れてくれる圧倒的な包容力を持った存在なのです。
しかし、これほどまでに重要な神様でありながら、日本の公式な歴史書である『古事記』や『日本書紀』には、瀬織津姫の名前は一切記されていません。
この神秘的な背景から、彼女は歴史の中で何らかの理由によって隠された、謎多き女神であるとも言われています。
そのため、古くから太陽神である天照大御神の力強い側面である荒御魂と同一視されたり、水を司る龍神や弁財天と結びつけて深く信仰されたりしてきました。

公式の記録から姿を消してなお、人々の心の中で大切に守り継がれてきた瀬織津姫。
彼女が体現するすべてを水に預けて手放すという壮大なエネルギーは、現代を生きる私たちが本来の清らかな心を取り戻し、生命の歓喜に満ちた豊かな状態を高めるための、最も力強い道標となってくれるはずです。

最後に、あなたへ大切なメッセージをお伝えします。

愛と使命を両立するあなたへ。

私たちがこの世に生まれてきた理由は、

決して苦しんだり、人を恨んだり悲しんだり、傷つけ合ったりするためではありません。

命とは、喜びを味わうために生まれてきたものです。

命の温かさを感じ、知り、「生きててよかった」とほっとして、安心してニコニコ笑うために生まれてきたのです。

私たちは、絶対的に今世の命を楽しむべきなのです。

『愛のある場所でこそ、人は生きる力を得る。』

『人生とは、喜びという宝物を探す旅である。』

『温かな感情は体温を上げ、人を幸せへ導く。』

どうか忘れないでください。

『あなたは、神様がつくった最高傑作』です。

あなたの命が、これからも喜びというパワフルなエネルギーで満たされ、温かな笑顔とともに輝き続けることを心から願っています。

私は、「人は幸せになるためにのみ、この世に送り出された」という揺るぎない確信を持ったアーティストです。

愛や喜びは、抽象的な概念などではなく、私たちの「生命維持に不可欠な根源」だと考えています。

だからこそ、私のアートやメッセージには、あなたの存在そのものを絶対的な価値として全肯定するエネルギーを込めています。

あなたがいつも、大いなる愛と光に守られていますように。

そして、あなたの大切な命の時間が、たくさんの幸運と共にありますように。

nao

【参考情報・引用元】

国立新美術館 公式HP(マティス 自由なフォルム)

アーティゾン美術館 公式HP(ブランクーシ 本質を象る)

弘前れんが倉庫美術館 公式HP(蜷川実花展 with EiM:儚くも煌めく境界)

コトバンク(瀬織津姫、大祓詞、祓戸四神、天照大御神、荒御魂、弁財天、ホツマツタエ、円空、白洲正子、歌川広重、名所江戸百景、棟方志功、ベロ藍、板画、隈研吾、青木藤作)

清少納言氏著『枕草子』より

宮崎駿氏監督映画『もののけ姫』より

厚生労働省 e-ヘルスネット(身体活動とエネルギー代謝)

環境省 公式HP(自然とのふれあいによる健康増進効果に関する実証調査)

千葉大学環境健康フィールド科学センター 公表データ(自然の癒し効果・ストレス軽減に関する研究報告)

那珂川町馬頭広重美術館 公式HP(施設案内および建築・青木コレクション情報)

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