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喜びと表現が交差する場所への招待状
私は日々、愛と使命を両立しながら前に進もうとする方々に向けて、生命の喜びを全肯定するような作品を描き続けています。人が生を受けたその奇跡と、日々の営みの中に潜む美しい輝きを形にすることは、私にとって何よりの喜びです。
近年、世界中のさまざまな場所から、私たちの心を明るく照らす嬉しいニュースが次々と届いています。
1つ目は、2023年7月15日、東京都現代美術館にて英国の巨匠デイヴィッド・ホックニー氏の大規模な個展が開幕した出来事です。日本では27年ぶりとなるこの大型展示では、氏が身近な自然や日常の風景を愛情深く見つめ直した120点以上の作品が公開されました。特に、全長90メートルにも及ぶ壮大な風景画や、最新の機器を用いて描かれた色鮮やかな春の情景は、訪れた多くの人々の心に圧倒的な喜びと生きる活力を届けました。変わりゆく自然の美しさを全肯定する氏の眼差しは、私たちの日常にも豊かな光があることを教えてくれます。
2つ目は、2024年2月3日、京都市京セラ美術館にて村上隆氏の個展が開幕したことです。国内では約8年ぶりとなるこの展覧会では、京都の歴史や文化に深く敬意を払いながら生み出された新作が多数披露されました。江戸時代の絵師たちの表現を氏ならではの解釈で再構築した巨大な作品群は、日本の伝統的な美意識と現代の感性が融合した類まれなる空間を創り出しています。その圧倒的な熱量と生命力に満ちた表現は、国内外の多くの人々に驚きと感動をもたらし、自らの内にあるエネルギーを力強く呼び覚ましてくれます。
3つ目は、2024年3月15日、約3年間の大規模改修を終えた横浜美術館を拠点に現代美術の国際展である第8回横浜トリエンナーレが開幕したニュースです。「野草:いま、ここで生きてる」というテーマのもと、世界中から集まった表現者たちが、踏まれてもたくましく起き上がる野草のような生命力を作品に込めました。新しく生まれ変わった開放的な空間だけでなく、街全体を巻き込んだ多様な表現の祭典は、地域社会に明るい笑顔と心温まるつながりを生み出しています。互いの存在を認め合い、共に生きる喜びを分かち合うその光景は、まさに心が満たされる豊かさの体現と言えるでしょう。
これらの出来事は、表現に触れることが私たちの心を潤し、人生をより豊かなものにしてくれる事実を見事に物語っています。
あなたは今、ご自身の人生において生きがいや生きている意義を大切に考え、日常の中に喜びや感動を求めておられるのではないでしょうか。仕事やご家族への愛情に全力を注ぎ、多くの経験を重ねてこられたからこそ、より自分らしい人生を心から楽しみたいと願うのは、あなたの内面が非常に豊かである証拠です。
本記事では、インドネシアのバリ島で古くから信仰されている聖獣バロンの哲学を通じて、アートとウェルビーイングが私たちの人生にどのような輝きをもたらすのかを探求していきます。バロンは、人々の健康と幸福を守り、生命の躍動を象徴する存在です。この愛すべき聖獣の物語に触れることで、あなたはご自身の内にある無限のエネルギーに気づき、毎日をより鮮やかに彩るための素晴らしいヒントを得られるはずです。
メキシコの優れた表現者であり、文化人類学的な視点からバリ島の文化を深く研究したミゲル・コバルビアス氏は、1930年代に出版した名著の中で「バリ島では誰もが表現者である」という言葉を残しています。
この言葉は、単にバリの人々が絵を描いたり楽器を演奏したりするのが上手だという意味にとどまりません。コバルビアス氏が驚きとともに記録したのは、彼らにとっての表現活動が、日々の生活や信仰と完全に一体化しているという事実でした。
バリ島の人々にとって、表現とは特別な才能を持った限られた人だけが行うものではありません。朝起きて自然の恵みに感謝し、美しい花や葉を用いて色鮮やかな供え物を作る指先の動き。豊穣を願って大地を耕す力強い姿。そして村中が協力して聖獣バロンの祭りを準備し、共に踊り、共にガムランの音色を奏でる時間。そのすべてが、目に見えない大いなるエネルギーとの調和を図る、極めて純粋な表現活動なのです。
コバルビアス氏は、彼らの言葉に西洋的な意味での「芸術」や「芸術家」という枠組み自体が存在しないことに気づきました。何かを美しく創り上げることは、呼吸をすることと同じように当たり前の営みであり、生きることそのものが一つの美しい表現であることを、バリの人々はごく自然に体現していたのです。
このあり方こそが、私たちの日々を根本から潤すウェルビーイングの鍵となります。誰かに評価されるためでも、特別な技術を披露するためでもなく、ただ今ここにある命の喜びに素直に従い、自らの心と身体を動かすこと。朝の光を浴びて深呼吸をすることや、大切な人へ温かな言葉をかけることなど、ご自身の日常のささやかな選択や行いの中に美意識と喜びを込めることができれば、あなたの過ごす時間はそのまま豊かなアートへと変わります。
生きることそのものが1つの美しい表現なのです。それでは、この普遍的な真理を体現し、光と調和に満ちた聖獣バロンの世界へ、共に出発しましょう。
聖獣バロンの哲学が示す調和と生命のエネルギー
アートとウェルビーイングという言葉を聞いたとき、あなたはどのような情景を思い浮かべるでしょうか。それは決して特別な場所だけで味わうものではなく、私たちが日々を生きる中での心のあり方や命の輝きそのものを指しています。バリ島の文化において、この2つの概念を見事に体現しているのが、聖獣バロンの存在です。
バロンは、獅子や猪などの姿をとる森の精霊の王であり、人々の健康や豊穣を守る善のエネルギーの象徴です。きらびやかな装飾が施された大きな体に、愛嬌のある表情を持ち、木でできた顎を打ち鳴らしながら踊る姿は、見る者の心に無邪気な喜びを呼び起こします。バロンの踊りは、単なる見世物ではなく、地域の人々の心を一つにし、目に見えないエネルギーの調和を保つための大切な習慣として受け継がれてきました。
バリ島の根底には、「ルワ・ビネダ」と呼ばれる哲学があります。これは、光と影、善と悪、喜びと悲しみなど、相反する2つの要素が常に共存し、互いに影響し合いながら世界の均衡を保っているという考え方です。バロンは常に、混沌や災いを象徴する魔女ランダと対峙します。しかし、バロンがランダを完全に滅ぼすことはありません。なぜなら、影があるからこそ光が輝き、悲しみを知るからこそ喜びが深まるという自然の理を、彼らは深く理解しているからです。バロンは、終わりのない対立の中に遊び心と生命力を持たせ、世界を調和へと導く存在なのです。
このバロンの哲学とバリの美しさに魅了され、自らのウェルビーイングを極めた歴史的な人物がいます。1920年代にバリ島へ渡ったドイツの表現者、ウォルター・スピース氏です。彼は西洋の近代的な生活から離れ、バリ島の豊かな自然と人々の営みの中に身を置きました。
ウォルター・スピース氏は、単に絵を描くだけの生活を送ったのではありません。豊かな教養を持つ家庭に生まれ、音楽や植物学にも深い知識を持っていた彼は、1920年代後半にバリ島のウブドという村に降り立ちました。現地の王族であるチョコルダ・グデ・アグン・スカワティ氏の熱烈な歓迎を受けた彼は、美しいチャンプアンの谷に家を構えます。彼は西洋の知識を押し付けるのではなく、バリ島の人々が日常的に行っている表現の美しさに深い敬意を払いました。現地の音楽や舞踊に深く傾倒し、村の人々と共に暮らしながら、その生命力あふれるエネルギーを全身で吸収したのです。
彼はバリ島の伝統的な表現を尊重しながらも、自らの感性を掛け合わせ、現在も有名な「ケチャ」という合唱舞踊の原型を現地の表現者たちと共に創り上げました。当時、村々で受け継がれていた「サンヒャン」という深い没入状態を伴う舞踊に魅了されたスピース氏は、現地の優れた表現者であるワヤン・リンバク氏と深く対話を重ねました。そして、神話の物語を取り入れ、数十人の男性が円陣を組んで声と息遣いだけで伴奏を生み出す、圧倒的な群舞へと昇華させたのです。これは個人の才能を誇示するものではなく、参加するすべての人々が声と身体の波を重ね合わせ、一つの大きな生命体になるという究極の調和の表現でした。
さらに特筆すべきは、1936年に彼が王族や、同じくバリを愛した表現者であるルドルフ・ボネ氏と共に設立した「ピタ・マハ(偉大なる活力)」という美術組合の存在です。当時、バリ島の素晴らしい木彫りや絵画が、海外からの訪問者に向けて粗悪なお土産物として安価に扱われそうになる危機がありました。スピース氏らは、村の人々が持つ本来の高い技術と誇りを守るため、質の高い表現だけを厳選し、国内外の展覧会で紹介する仕組みを作りました。この活動により、村の人々は自らの文化に対する深い自信を取り戻し、経済的な安定と精神的な豊かさの両方を手にすることができたのです。
彼にとって、絵の具をキャンバスに乗せることだけでなく、村の人々と語り合い、自然の音に耳を傾け、共に踊るという日常のすべてが、極めて高度なアートだったのです。ウォルター・スピース氏の家には、世界中から多くの文化人や表現者が集まり、そこは常に創造的なエネルギーと喜びに満ちていました。彼は、バロンが象徴する「生と死のサイクルを肯定し、今この瞬間を喜びとともに生きる」という哲学を、自らの人生を通じて体現したのです。
彼のエピソードは、表現活動が個人の心を癒やすだけでなく、周囲の人々をも巻き込み、社会全体に豊かなウェルビーイングをもたらすという素晴らしい事実を私たちに教えてくれます。自らの感性を開き、他者の美しさを全身で肯定する。その純粋な愛の循環こそが、彼がバリ島の歴史に刻んだ最大の作品と言えるでしょう。
日常に光を招き入れる実践的な歩み
バロンの哲学が教えてくれる「相反するものを受け入れ、命の躍動を楽しむ」というあり方を、私たちはどのようにして日常に取り入れればよいのでしょうか。論理的な思考や効率が重視される現代社会では、目に見える結果ばかりを追い求めてしまい、自らの感情や身体の感覚を置き去りにしてしまうことが少なくありません。だからこそ、意図的に五感を開き、内なるエネルギーと対話する時間が必要なのです。
実践の最初の段階は、「自分の身体に宿る生命力をただ感じること」です。頭で考えることを一旦横に置き、今の呼吸の深さや、手足の温かさに意識を向けてみます。
かつて、すべての物事を自らの力で厳密に統制しようとし、思い通りにいかないことに深く思い悩んでいた1人の表現者がいました。カナダ出身の作曲家であるコリン・マクフィー氏です。彼は1920年代のニューヨークで活動していましたが、西洋の伝統的な音楽構造の中で完璧な結果を求めるあまり、心にゆとりがなくなり、表現することの本来の喜びを見失いかけていた時期があったと言われています。
そんな彼の大きな転換点となったのは、バロンの踊りの伴奏としても使われる、バリ島の伝統的な打楽器音楽であるガムランとの出会いでした。1931年、彼はガムランの録音を初めて聴き、その複雑で生命力に満ちた響きに雷に打たれたような衝撃を受けます。すぐさまバリ島へ渡った彼は、数年間にわたって現地の音楽を研究し、大きな気づきを得ました。
それは、異なる音同士がぶつかり合い、光と影のように相反する要素が共存しながらも、全体として壮大な調和を創り出しているという事実でした。コリン・マクフィー氏は、ガムラン音楽の最大の特徴が「コテカン」と呼ばれる緻密な相互の関わり合いにあることを見出しました。1つの旋律を複数の演奏者がパズルのように組み合わせて奏でることで、1人では決して生み出せない圧倒的な音の波が生まれます。
思い通りにいかない出来事も、複雑に絡み合う音色も、すべてが人生という壮大な作品を構成する大切な一部なのだと心から認めた瞬間、彼の肩の力は抜け、再び内側から温かなエネルギーが湧き上がってくるのを感じたことでしょう。彼は、自らの力ですべてを統制しようとする思考を手放し、他者の音色に耳を傾け、互いに補い合いながら調和を創り出す過程に、究極のウェルビーイングを見出しました。
日常にこの調和のエネルギーを落とし込むための具体的な実践をご紹介します。1日の中で数分間だけ、ご自身の周囲にある「自然の音」や「心地よい音」に耳を澄ませてみてください。風が木々を揺らす音、鳥のさえずり、あるいはお気に入りの音楽の奥にある低音の響きなど、何でも構いません。その音の振動が、耳から身体全体へと広がり、ご自身の細胞を優しく震わせる様子を想像するのです。
私たちもコリン・マクフィー氏と同じように、周囲の環境や他者の音色に耳を傾け、自らの鼓動と重ね合わせることで、バロンがもたらすような深く豊かな生命の歓喜を味わうことができるのです。
表現の力で人生の景色を変えた歴史的転換点
アートとウェルビーイングが結びついたとき、個人の内面だけでなく、周囲の環境や歴史そのものに大きな変化をもたらすことがあります。目に見えないエネルギーに形を与え、それを他者と共有することで、私たちは互いの魂を深く震わせることができるのです。
この表現の力がもたらした歴史的な転換点として、フランスの演劇家であり詩人でもあったアントナン・アルトー氏のエピソードをさらに詳しくご紹介しましょう。
1931年、パリで開催された植民地博覧会において、彼は初めてバリ島の伝統的な舞踊と演劇を目にしました。バロンやその他の精霊たちが織りなす圧倒的な身体表現、そしてガムランのうねるような響きは、当時の西洋演劇が行き詰まりを感じていた「言葉や論理への過度な依存」を見事に打ち砕くものでした。当時の彼は、台本の言葉をただ論理的に説明し、心理を分析するだけの演劇に限界を感じ、もっと人間の根源的な生命力を呼び覚ますような表現を模索していました。そんなアルトー氏にとって、バリ島の表現者たちの姿はまさに衝撃でした。彼らは単に与えられた役を演じているのではなく、指先の細やかな動きから目線の運び、そして全身の躍動に至るまで、身体のすべてを使って宇宙のエネルギーと直接交信し、生命の根源的な力を舞台上で爆発させていたのです。アルトー氏は、言葉を持たない身振りが空間を満たし、見る者の感情を直接揺さぶるこの圧倒的な表現に深い感銘を受けました。
彼はこの体験に強い刺激を受け、自らの演劇理論を根本から書き換え、後に名著となる『演劇とその分身』を執筆しました。その中で彼は、バリ島の表現が持つ、理性や論理を超えて無意識の領域に直接働きかける力を高く評価しています。彼が提唱した新たな表現の哲学は、その後の世界の舞台芸術に計り知れない影響を与え、多くの表現者たちに身体とエネルギーの解放という新しい道を提示したのです。言葉で説明し尽くせない感情や、心の奥底に眠るエネルギーを、身体という最も身近な存在を使って思い切り表現する。この気づきは、アルトー氏にとってバリの表現との出会いが生み出した、自らの芸術的生命を蘇らせる強烈な癒やしであり、極めて高いウェルビーイングの体験でもありました。それはまさに、全身で感じる究極のアートの発見だったと言えます。
私たちもまた、日常の中で言葉にならない想いを抱えたとき、論理で解決しようとする思考を一旦手放し、ただ深く呼吸をして身体の感覚に身を委ねてみることで、アルトー氏が感じたような圧倒的な生命の歓喜に触れることができるはずです。
さらに、このバリ島の文化が持つ「表現を通じた社会の調和」を、学術的な視点から詳細に記録したのが、アメリカの文化人類学者であるマーガレット・ミード氏とグレゴリー・ベイトソン氏です。
彼らは1936年から1938年にかけてバリ島に滞在し、村の人々の日常や祭りの様子を25000枚以上もの写真と、約6700メートルにも及ぶ記録映像に収めました。言葉による記録だけでなく、膨大な視覚情報を用いて人々の行動や感情の動きを捉えようとしたこの試みは、当時としては極めて画期的な文化研究でした。
2人が特に深い関心を寄せたのは、バリの人々が日常の生活の中では感情の起伏を穏やかに保ちながらも、祭りの場になると一転して圧倒的なエネルギーを爆発させるという独特の心の仕組みでした。彼らの詳細な記録により、バリ島の人々にとって表現の場とは特別な才能を持つ者だけのものではなく、共同体全員が参加する生活の一部であることが明らかになりました。
彼らは、バロンと魔女ランダが対決する伝統的な演目を繰り返し観察しました。そこでは、村の人々が打楽器の激しい演奏に合わせて深い没入状態に入り、自らの感情を強烈に解放する様子が克明に記録されています。ミード氏とベイトソン氏は、この一見すると激しい表現の場が、実は地域社会の精神的な健康を保つための極めて洗練された仕組みであることを見抜きました。
日々の暮らしの中では抑え込まれがちな恐れや葛藤といった複雑な感情を、人々はバロンという善の象徴とランダという恐れの象徴の対立というアートの形を借りて、安全な形で外へと表現していたのです。言葉では説明しきれない無意識の領域を、身体の動きや表情を通じて共有し合う。村中が協力して祭りを準備し、共に踊り、共に音楽を奏でるという創造的な行いを定期的に繰り返すことで、人々は心の中に蓄積された緊張や不安を健康的に解放し、高い精神的安定を保っていました。
ミード氏とベイトソン氏が残したこれらの膨大な記録は、表現活動が個人の心の平穏だけでなく、地域社会全体のつながりやウェルビーイングを維持するためにいかに重要であるかを、具体的なデータとして世界に証明しました。
芸術的な表現を通じて感情を分かち合い、互いの存在を認め合うこの仕組みは、論理や効率が優先される現代を生きる私たちが、見えないストレスや孤立感を和らげるための素晴らしいヒントとなります。自分の中にある言葉にならない感情を何らかの形で外に出し、他者と響き合わせること。それこそが、私たちが心身ともに満たされた豊かな状態を保つための強力な支えとなるのです。
これらのエピソードから私たちが学べるのは、ご自身の心の中にある「好きだ」「美しい」という直感を信じ、それを何らかの形で表現することが、ご自身の人生の景色を劇的に変える力を持っているということです。絵を描くこと、歌うことだけでなく、心地よい空間を整えることや、大切な人に温かな言葉を贈ることも立派な表現です。その純粋なエネルギーは必ず周囲に伝わり、温かな波紋となって社会全体へと広がっていくのです。
調和の道で心を縛る誤解を解き放つ
アートとウェルビーイングを日々の生活に取り入れようとする際、私たちが無意識のうちに陥りやすい誤解がいくつか存在します。ここでそれらの疑問を優しく紐解き、心を縛り付けている思い込みを手放していきましょう。
多くの方が抱きがちな誤解の1つに、「心身が健やかで満たされた状態とは、常に前向きで、ネガティブな感情が一切ない状態のことである」というものがあります。しかし、バロンの物語が教えてくれるのは、光と影の絶妙な均衡です。影の存在であるランダを完全に排除しようとすれば、かえって世界の調和は崩れてしまいます。悲しみや怒り、迷いといった感情を悪いものとして抑え込むのではなく、それらをご自身の大切な一部として安全に受け入れること。その受容の姿勢こそが、本当の意味での心の豊かさをもたらします。
また、「優れた表現を楽しむためには、特別な才能や深い知識が必要だ」という思い込みも、多くの方の足枷となっています。表現に触れるとき、歴史的な背景や技法を知らなければならないと力む必要は全くありません。最も大切なのは、あなたの心がその対象にどう反応したかという、純粋な身体の感覚です。色が綺麗だと感じた、理由もなく涙が出そうになった、ただ心が躍った。その直感的な感覚にこそ、絶対的な価値があるのです。
バロンの踊りを見るバリの人々は、複雑な理論を分析しているわけではありません。ただ、目の前で繰り広げられる生命の躍動を全身で浴び、共に笑い、共に歓声を上げているだけです。この「頭ではなく身体全体で感じる」というあり方が、私たちには必要なのです。
この内面的な調和と身体感覚の重要性を美しく表現した言葉があります。バリ島を舞台の1つとしたエリザベス・ギルバート氏の自伝的小説『食べて、祈って、恋をして』の中で、現地の賢者であるケトゥ氏は主人公に向けてこう語りかけます。「顔で微笑み、心で微笑み、肝臓でも微笑みなさい」。
この言葉は、表面的な感情の操作ではなく、内臓の奥深く、身体の隅々にまで喜びのエネルギーを浸透させることの大切さを説いています。私たちはつい、頭の中だけで「幸せにならなければ」と考えがちですが、本当の心の平穏は、細胞の一つ一つがリラックスし、生命のエネルギーを心地よく受け入れた時に自然と訪れるものなのです。どうか、ご自身の身体に意識を向け、ただそこに在るという奇跡に微笑みかけてみてください。

喜びの探求と明日への約束
ここまで、聖獣バロンの哲学と、アートとウェルビーイングが織りなす豊かな世界についてお話ししてきました。今回の内容を、日々の生活を輝かせるための3つの視点に集約いたします。
1つ目は、「光と影の共存を肯定すること」。思い通りにいかない時も、それをご自身の人生の深みを増す大切な要素として受け入れることです。
2つ目は、「生活のすべてを表現として捉えること」。日常のささやかな選択や行いの中に、ご自身の美意識と喜びを込めることです。
3つ目は、「身体の直感を信じ切ること」。頭で考える正解よりも、心が心地よいと感じる感覚を指標として進むことです。
ここで、明日からすぐに始められる具体的な行動を1つご提案します。お家の中にある「自然の素材(木でできた家具や、丸い石など)」に触れ、目を閉じて1分間だけその感触をじっくりと味わってみてください。木目や石のひんやりとした温度を感じながら、それが地球のエネルギーの一部であることを意識して深く呼吸をします。このささやかな時間が、あなたの心を優しく地に足のついた状態へと導いてくれます。
映画『メリー・ポピンズ』の中で、主人公であるP・L・トラヴァース氏が生み出した魔法使いは、「どんな仕事にも、必ず楽しい要素がある」と語っています。見方を変えれば、どのような日常の中にも、バロンがもたらすような遊び心と喜びを見つけることができるのです。
最後に、日本国内でアジアの豊かなエネルギーと表現に触れることができる素晴らしい場所をご紹介します。福岡県福岡市にある「福岡アジア美術館」です。
この美術館は、世界でも珍しい、アジアの近現代の表現を専門に収集し展示している施設です。館内に足を踏み入れると、アジア各国の多様な文化や歴史、そして人々の生活の息遣いが直接伝わってくるような、エネルギーに満ち溢れた作品群が出迎えてくれます。
インドネシアをはじめとする東南アジアの表現も豊富に展示されており、バロンが象徴するような生命力に満ちた色彩や、大地と結びついた力強い造形に直接触れることができます。この美術館の素晴らしいところは、単に作品を展示するだけでなく、アジアの表現者たちを招いた滞在制作や、来館者が参加できる交流プログラムが活発に行われている点です。作品が完成した過去の遺物としてではなく、今まさに生み出されている生きたエネルギーとして空間全体に満ちています。
博多の活気ある街並みの中にあるこの美術館を訪れ、アジア特有の熱気と躍動感に包まれる時間は、あなたの中に眠っている野生的な直感や、生きる喜びをダイナミックに呼び覚ましてくれることでしょう。ぜひ、ご自身の足で訪れ、その圧倒的な生命の律動を全身で感じてみてください。

最後に、あなたへ大切なメッセージをお伝えします。
愛と使命を両立するあなたへ。
私たちがこの世に生まれてきた理由は、
決して苦しんだり、人を恨んだり悲しんだり、傷つけ合ったりするためではありません。
命とは、喜びを味わうために生まれてきたものです。
命の温かさを感じ、知り、「生きててよかった」とほっとして、安心してニコニコ笑うために生まれてきたのです。
私たちは、絶対的に今世の命を楽しむべきなのです。
『愛のある場所でこそ、人は生きる力を得る。』
『人生とは、喜びという宝物を探す旅である。』
『温かな感情は体温を上げ、人を幸せへ導く。』
どうか忘れないでください。
『あなたは、神様がつくった最高傑作』です。
あなたの命が、これからも喜びというパワフルなエネルギーで満たされ、温かな笑顔とともに輝き続けることを心から願っています。

私は、「人は幸せになるためにのみ、この世に送り出された」という揺るぎない確信を持ったアーティストです。
愛や喜びは、抽象的な概念などではなく、私たちの「生命維持に不可欠な根源」だと考えています。
だからこそ、私のアートやメッセージには、あなたの存在そのものを絶対的な価値として全肯定するエネルギーを込めています。
あなたがいつも、大いなる愛と光に守られていますように。
そして、あなたの大切な命の時間が、たくさんの幸運と共にありますように。
nao
【参考情報・引用元】
- 東京都現代美術館(デイヴィッド・ホックニー展)
- 京都市京セラ美術館(村上隆 もののけ 京都)
- 横浜トリエンナーレ組織委員会(第8回横浜トリエンナーレ「野草:いま、ここで生きてる」)
- 平凡社(ミゲル・コバルビアス著『バリ島』、バリ島 上・下)
- Walter Spies Society(Walter Spies - Biography)
- 音楽之友社(コリン・マクフィー著『バリの音楽』)
- 白水社(アントナン・アルトー著『演劇とその分身』)
- The New York Academy of Sciences(Balinese Character: A Photographic Analysis)
- 新潮社(エリザベス・ギルバート著『食べて、祈って、恋をして』)
- ウォルト・ディズニー・ジャパン(映画『メリー・ポピンズ』)
- 福岡アジア美術館(施設案内およびコレクション紹介)
-
アルフレッド・A・クノッフ出版公式サイト(Island of Bali)
- ネカ美術館公式サイト(The Pita Maha Movement and Balinese Art)
- ウブド王宮公式サイト(Puri Saren Agung - History and Tjokorda Gede Agung Sukawati)
- ブリル出版公式サイト(Walter Spies and Balinese Art)
- 音楽之友社公式サイト(バリの音楽)
- イェール大学出版局公式サイト(Music in Bali: A Study in Form and Instrumental Organization in Balinese Orchestral Music)
- 白水社公式サイト(演劇とその分身)
- 国立民族学博物館公式サイト(1931年パリ植民地博覧会とバリ舞踊に関する研究記録)
- The New York Academy of Sciences(Balinese Character: A Photographic Analysis)
- 米国議会図書館公式サイト(Margaret Mead and Gregory Bateson in Bali and New Guinea)







