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桜の女神が導く、喜びに満ちた豊かな人生への招待状
私たちが生きるこの世界には、心を震わせ、命の温かさを教えてくれる美しい出来事が日々生まれています。近年、社会全体でもその価値が見直され、喜びを分かち合う素晴らしいニュースが次々と報告されています。
1つ目の嬉しい出来事は、2024年1月24日に日本の文化を司る省庁が、文化芸術によるウェルビーイング向上の推進事業における素晴らしい採択結果を発表しました。全国各地で、表現を通じた心の豊かさを育む取り組みが力強く芽吹き始めており、多くの人々が感性を共有し合う喜びの場が広がっています。
2つ目は、2024年2月15日に国立の精神・神経医療を研究する機関が参加する共同の調査において、芸術鑑賞がもたらす前向きな感情の働きに関する新しいデータが示されました。美しいものに触れる時間が、私たちの心身にどれほど温かな活力をもたらすかが、具体的な指標として明らかになったのです。
そして3つ目は、2023年9月23日に静岡県にある富士山世界遺産を伝える施設で開幕した企画展示の大きな反響です。富士山と木花咲耶姫にまつわる信仰や表現の文化を紹介するこの展示には、多くの人々が足を運びました。自然の雄大さと女神の美しい物語に触れることで、日常の喧騒から離れ、自らの内面にある清らかなエネルギーと向き合う素晴らしい機会となりました。
このようなニュースを目にするたび、人間が本来持っている「喜びを感じる力」の偉大さに胸が熱くなります。日々の生活の中で、ご自身の生きがいや、生きている意義、そして感動を何よりも大切にされているあなたもきっと、より自分らしい人生を心から楽しみたいと願っていらっしゃることでしょう。複雑な役割をこなし、周囲への愛情を注ぐ毎日の中で、ふと立ち止まり、自分自身の内側にある純粋な情熱の炎を感じたくなる瞬間があるはずです。
日本の植物学の父と呼ばれる牧野富太郎氏は、「雑草という草はない」という素晴らしい言葉を残されました。
この言葉の背景には、生涯を通じて草木をこよなく愛した彼ならではの深い哲学があります。かつて若き日の作家・山本周五郎氏が取材で「雑草」という言葉を口にした際、牧野氏はこうたしなめたと言われています。 「きみ、世の中に〝雑草〟という草は無い。どんな草にだって、ちゃんと名前がついている」
人間は自分の都合に合わせて、庭や道端に生える名もなき草を十把一絡げに「雑草」と呼び、価値のない厄介者として扱います。しかし、どんなに小さく目立たない草であっても、一つひとつに固有の名前があり、何万年という独自の進化を遂げてきた歴史があり、その環境で懸命に生きるための精緻な仕組みを持っています。この教えは後に昭和天皇にも深い感銘を与え、「人間の一方的な考え方でこれを雑草として決めつけてしまうのはいけない」と侍従を諭されたという有名な逸話も残っています。
牧野氏の言葉は、どんな小さな命にも絶対的な価値があり、それぞれが固有の美しさを開花させるために存在しているという、生命への究極の賛歌です。
私たち人間の命も全く同じです。社会の評価基準や誰かの都合によって、自分自身を「取るに足らない存在」だと卑下する必要は全くありません。誰かと比べる必要のない、あなただけの美しい花を咲かせるためのエネルギーが、その胸の奥底で力強く脈打っています。
本稿では、日本の美しい桜と富士山を象徴する女神、木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)の物語を道しるべとしながら、アートとウェルビーイングを取り入れることで、人生の喜びを最大限に味わう方法をお伝えしていきます。これを読み終える頃には、あなたの中に眠る温かなエネルギーが心地よく巡り始め、明日からの日常がより鮮やかに彩られていくのを実感していただけるはずです。
桜の女神が体現する生命の躍動と美の開花
私たちが真のウェルビーイングを実感し、心からの喜びとともに生きるためには、自らの内にある生命エネルギーの躍動を肯定することが欠かせません。その究極の姿を体現しているのが、日本神話に登場する木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)です。彼女は、富士山の神霊であり、桜の花が咲き誇るように美しい女神として知られています。しかし、彼女の魅力は単なる外見の美しさだけにとどまりません。その本質は、自らの命をかけて真実を証明し、炎の中で新たな命を生み出したという、圧倒的な内なる強さと情熱にあります。
神話によれば、木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)は天孫である瓊瓊杵尊と結ばれますが、一夜で身ごもったためにその貞節を疑われてしまいます。その時、彼女は自らの純潔と宿した命の尊さを証明するため、産屋に火を放ち、燃え盛る炎の中で見事に三柱の神を産み落としました。この壮絶でありながらも美しい物語は、私たちが人生で直面する葛藤や試練の中で、自らの本質を見失わず、情熱の炎を燃やして新しい価値を生み出す力を象徴しています。
この生命の燃焼と開花こそが、アートとウェルビーイングの根源的な結びつきを示しています。ウェルビーイングとは、単に波風の立たない平坦な感情を維持することではありません。時には燃え上がるような情熱を抱き、時には深く思い悩みながらも、最終的には自らの存在を絶対的な価値として全肯定し、命の喜びを爆発させるダイナミックな状態を指すのです。そしてアートとは、その目に見えない生命の躍動を、色彩や形、言葉や音といった物質的な次元に引き下ろして共有可能にしたものです。
歴史を振り返ると、この木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)が宿る富士山という圧倒的な生命エネルギーに魅了され、自らの表現の全てを捧げた人物がいます。江戸時代後期に世界的な名声を博し、ゴッホやモネなど西洋の印象派にも多大な影響を与えた浮世絵師、葛飾北斎氏です。
彼は生涯を通じて、神の山である富士を描き続けました。70代を過ぎてから発表された代表作『富嶽三十六景』や、それに続く『富嶽百景』に描かれる富士山は、単なる風景画の枠を完全に超えています。大波の隙間から覗く静寂な富士、赤く染まる富士、そして人々の日常の営みの背景に常にそびえ立つ富士。彼は、永遠に変わらない自然界の途方もないエネルギー(神性)と、一瞬一瞬を懸命に生きる人間の儚い営みが交差する奇跡的な瞬間を、キャンバスに見事に定着させたのです。
北斎氏は自らを「画狂老人卍(がきょうろうじんまんじ=絵を描くことに狂った老人)」と名乗り、生涯で93回も引っ越しを繰り返し、部屋が散らかることすら気にせず、ただひたすらに絵を描くことだけに没頭しました。食や衣服といった物質的な欲求や他者からの評価を全て削ぎ落とし、自らの交感神経と副交感神経のすべてを「描く」というフロー状態(極度の集中と没入)に注ぎ込んでいたと言えます。
そして嘉永2年(1849年)、90歳でこの世を去るその直前、彼は病床でこう泣き崩れたと伝えられています。 「天我をして十年の命を長らえしめば……天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」(天があと10年、いやあと5年私を生かしてくれたなら、本当の絵描きになれるのに)
彼のこの尽きることのない情熱は、まさに木花咲耶姫の炎のように、自らの命を燃やし尽くして美を開花させようとする究極の生命の躍動です。彼が描いた波のしぶきの一滴一滴や、力強い富士の稜線には、彼自身の脈打つ鼓動とエネルギーがそのまま閉じ込められています。だからこそ、数百年を経た現代の私たちがその作品の前に立つ時、私たちの内なる生命エネルギーもまた強烈に共鳴し、深い感動とともに引き上げられるのです。
このように、優れた表現に触れることは、他者の命の炎を分けてもらう行為に等しいと言えます。木花咲耶姫が象徴する美しさは、儚く散るからこそ尊いのではなく、限られた時間の中で全力を尽くして「今、ここ」で咲き誇るからこそ美しいのです。私たちがアートを通じて自らの感覚を研ぎ澄まし、日常の中にある小さな感動を拾い上げる時、私たちは無意識のうちに自らの命を祝福し、ウェルビーイングという豊かな泉を満たしているのです。
日常に美の息吹を取り入れる3つの段階
それでは、この木花咲耶姫のような内なる生命の躍動を、私たちはどのようにして日常に呼び覚まし、ウェルビーイングを高めていけばよいのでしょうか。慌ただしい現代社会においては、効率や結果ばかりが優先され、自らの内面で燃える純粋な喜びの炎を見失いがちです。しかし、ほんの少し視点を変えるだけで、誰もがその温かなエネルギーを循環させることができます。ここでは、段階的な3つのプロセスを通じて、その方法を紐解いていきましょう。
第1の段階は、「自らの感情の揺らぎに気づき、それを大切に抱きしめること」です。
多くの人は、悲しみや迷いといった感情を隠すべきものと考えがちですが、それは生命が生きている証拠そのものです。木花咲耶姫が炎の中で命を育んだように、私たちの心の中にある葛藤もまた、新しい自己を生み出すための大切なエネルギーの源泉となります。まずは、ご自身の心が何に反応し、何に心惹かれるのかを、一切の評価を交えずにただ観察することから始めます。
第2の段階は、「その感情を美しいものと共鳴させること」です。
ここでアートが極めて重要な役割を果たします。美術館に足を運んだり、お気に入りの音楽に耳を傾けたりする時、作品に込められたエネルギーとご自身の感情を重ね合わせてみてください。それは、固く閉ざされていた心のつぼみに温かな春の日差しを当てるようなものです。他者の表現に触れることで、「自分が感じていたこの思いは、決して間違いではなかったのだ」という深い安心感と自己肯定感が生まれます。
そして第3の段階は、「自らの感性を日常の行動として表現すること」です。
表現とは、絵を描いたり楽器を演奏したりすることだけではありません。今日の服装に心を惹かれた色を取り入れること、大切な人に温かな言葉をかけること、あるいは美しく整えられた食事を味わうこと。そのすべてが、あなたの内なるエネルギーを外の世界へと放つ素晴らしい表現行動です。
このプロセスを通じて自らの道を切り開き、究極の自己肯定へと辿り着いた偉大な人物として、近代日本画の巨匠、横山大観氏の軌跡が挙げられます。彼は生涯を通じて、日本の精神的支柱である富士山を数え切れないほど描き続けましたが、その表現の裏側には、血を吐くような葛藤と孤独な闘いがありました。
明治という新しい時代、大観氏は盟友・菱田春草氏と共に、これまでの日本画の命であった「輪郭線」をあえて捨て、色彩の濃淡だけで光や空気感を描き出すという革命的な手法に挑みました。しかし、この挑戦は当時の保守的な美術界から猛烈な拒絶反応に遭います。「焦点が定まらない」「幽霊のようだ」と嘲笑され、ついには「朦朧体(もうろうたい)」という、当時の言葉で「ぼんやりした、出来損ないの絵」を意味する蔑称で揶揄されました。
作品は全く売れず、激しい批判によって心身ともに疲弊し、自律神経を極限まで摩耗させるような暗闇の時期。しかし、大観氏は自らの「美しい」と信じる感覚を捨てませんでした。彼は岡倉天心と共に海を渡り、インド、アメリカ、そしてヨーロッパへと旅立ちます。
異国の地で、彼は驚くべき体験をします。日本では「朦朧としている」と否定されたその霧のような表現が、海外では「大気や光を捉えた繊細で神秘的な表現」として、熱狂的な賞賛をもって迎えられたのです。ニューヨークやロンドンでの展覧会は成功を収め、彼は「他者の評価は、見る側の視点一つで変わる」という真理を肌で感じ取りました。
帰国後、揺るぎない自信を胸に活動を再開した彼は、自身の技法に磨きをかけ、やがて「朦朧」としていた色彩を「深み」へと昇華させました。晩年、彼が2,000枚近く描いたと言われる富士山は、もはや単なる写生ではありません。批判の炎に焼かれ、孤独の中で自らの内なる美の基準を信じ抜いた彼が、その魂の静寂の中で見出した「宇宙の真理」そのものでした。
横山大観氏のこの歩みは、周囲の批判という炎に巻かれながらも、その熱を力に変えて自らの命を燃やし、見事に大輪の花を咲かせた木花咲耶姫の力強さそのものです。
私たちが日常で直面する様々な壁や、思い通りにいかないもどかしさも、この視点を持てば大きく意味が変わります。周囲との調和に悩み、自分を否定したくなる時こそ、それはご自身の感性をより深く耕し、次の段階へと進むための大切な「変容」の期間なのです。大観氏がそうであったように、まずは自らの直感を信じ、美しいものに触れてエネルギーを補充し、自分だけの「色」を少しずつ表現していく。この優しい循環こそが、周囲の言葉に左右されない、揺るぎないウェルビーイングを築くための確かな足掛かりとなります。
感性の開花がもたらす現実の変化と軌跡
アートとウェルビーイングが結びつく時、それは個人の心の中だけで終わるものではなく、周囲の現実や社会全体にまで温かな変化をもたらす強力な波紋となります。生命の歓喜が連鎖し、具体的な行動や数値として現れた素晴らしい実例を通じて、その変容の物語を見ていきましょう。
イギリスにおいて、表現の力が人々の心身の回復にどれほどの恩恵をもたらすかを証明した、ペインティングス・イン・ホスピタルズという素晴らしい慈善団体があります。この活動の創設者であるシェリダン・ラッセル氏は、もともと医療分野で働くソーシャルワーカーでした。彼は日々の業務の中で、治療に向き合う患者たちが抱える深い不安や、無機質な医療空間がもたらす心の緊張に心を痛めていました。
ある時、シェリダン・ラッセル氏は、ご自身の個人的なコレクションであった美しい絵画を、患者たちが過ごす待合室や病棟の壁に掛けてみることを思い立ちました。それは、木花咲耶姫の神話において、冷たい空気に包まれた冬の景色の中に、突如として温かな薄紅色の桜の花が咲き誇るような、小さな、しかし確かな光をもたらす行動でした。
絵画が飾られた日から、空間の空気は劇的に変わりました。患者たちは作品の前で立ち止まり、そこに描かれた色彩や風景について語り合うようになりました。ある人は絵の中の豊かな自然に自らの故郷の記憶を重ね合わせ、またある人は明るい色彩から明日への活力を受け取りました。不安に押しつぶされそうになっていた人々が、表現という窓を通じて自らの内なるエネルギーを取り戻し、笑顔を見せるようになったのです。
この個人的な優しさから始まった活動は、対話と共感を生み出し、やがて巨大なうねりとなっていきます。現在、この団体は3000点を超える素晴らしい作品群を管理し、170以上の医療や福祉の現場に美を届けています。この取り組みの効果は、明確な数値としても実証されています。様々な調査機関のデータにおいて、医療環境に美しい表現を取り入れることで、患者の不安やストレスが約30パーセントも軽減されることが確認されているのです。さらに、痛みの緩和を助け、入院期間の短縮にまで寄与するという報告もなされています。
これは、アートが決して贅沢品や一部の愛好家だけのものではなく、人間の生命維持と回復に不可欠な「栄養」であることを如実に物語っています。シェリダン・ラッセル氏と患者たちとの間で交わされた心の対話は、美しいものが持つ根源的な癒やしの力を引き出しました。感情が揺さぶられ、「美しい」「心地よい」と感じるその瞬間、私たちの脳内には喜びの物質が溢れ、体温が上がり、全身の細胞が生き生きと活動を始めます。
あなた自身の日常においても、これと同じ変化を起こすことが可能です。心が疲弊している時、無理に論理的な解決策を探すのではなく、ただ目の前にある美しい色彩や心地よい音楽に身を委ねてみてください。その数分間の没入が、凝り固まった思考を解きほぐし、あなたの中に眠る生命の炎に優しく風を送ってくれます。感情の解放を経て、表情が和らぎ、他者への寛容さが増す時、あなたの周囲の人間関係や仕事の成果にも、必ず驚くほど前向きな変化が表れるはずです。

歓喜への過程で直面する葛藤を越える視点
自らの感性を開花させ、アートを通じてウェルビーイングを高めていく過程において、多くの人が無意識のうちに抱いてしまういくつかの誤解があります。ここでそれらの疑問を優しく紐解き、より自由に心を羽ばたかせるための視点を見つめ直してみましょう。
最も頻繁に見受けられる誤解は、「美しい表現を理解するためには、専門的な知識や高度な教養が不可欠である」という思い込みです。「この作品の歴史的背景を知らなければならない」「作者の意図を正確に読み解かなければならない」と、無意識のうちに正解を探そうとしてしまうのです。しかし、木花咲耶姫が咲かせる桜の花を見る時、私たちは植物学的な知識がなくても、その美しさに心を打たれ、純粋な喜びを感じます。表現に対する向き合い方も全く同じです。大切なのは知識の量ではなく、「あなたの心がどのように反応したか」という一点に尽きます。心が震えたという事実そのものが、最高の価値なのです。
また、「ウェルビーイングとは、常に前向きで全く落ち込まない状態を維持することである」という誤解も多く見られます。本当の心の豊かさとは、悲しみや怒り、迷いといった複雑な感情を無理に消し去ることではありません。それらの感情を自分自身の一部として安全に受け止め、しなやかに立ち直る力を育むことこそが重要です。感情の起伏があるからこそ、喜びの瞬間はより一層の輝きを増すのです。
フランスの印象派を代表する巨匠、ピエール=オーギュスト・ルノワール氏の晩年のエピソードは、この真理を見事に教えてくれます。
彼は晩年、重度のリウマチを患い、指の関節が変形して硬直するという、画家にとってこの上なく残酷な試練に直面しました。車椅子での生活を余儀なくされ、自分では絵筆を握ることすら叶わなくなりましたが、彼の創作の炎が消えることはありませんでした。彼は、動かなくなった指の間に筆を差し込み、包帯で固定してまでキャンバスに向かい続けたのです。
筆を動かすたびに激痛が走り、交感神経が悲鳴を上げるような過酷な状況下にあっても、彼が描き出したのは、光に満ち溢れ、豊かに微笑む女性や、色彩豊かな花々など、人生の絶頂を謳歌するような美しい世界ばかりでした。
ある時、この痛々しい姿を見た友人の画家アンリ・マティス氏が、「なぜそれほどの苦痛の中で、これほどまでに喜びに満ちた絵を描き続けるのか」と問いかけました。それに対し、ルノワール氏は穏やかに、しかし毅然としてこう答えました。
「苦痛は過ぎ去るが、美は残る(La douleur passe, mais la beauté reste)」
この言葉は、私たちに非常に深い視座を与えてくれます。日々の生活の中で直面する葛藤や肉体的な疲労、精神的な重圧は、確かに「今」存在します。しかし、それに心を支配され、自分自身の世界を「苦痛の色」だけで塗り潰す必要はありません。ルノワール氏のように、その先にある、あるいはその奥に潜んでいる「絶対的な美しさや喜び」のほうへ、自らの意志で視線を向けることは可能なのです。
それは決して現実の痛みを無視することではありません。むしろ、痛みを抱えた不完全な自分を丸ごと包み込みながらも、なお「生命の歓喜」を選択するという究極の自己肯定の姿です。
あなたの中に湧き上がる感情に、正しい形も間違った形もありません。誰かの評価や「こうあるべき」という常識に照らしてご自身の感性を抑え込むのではなく、ただその瞬間の「好きだ」「心地よい」という直感を信じ切ってみてください。ルノワール氏が激痛の中で光の色彩を選び取ったように、あなたが自分にとっての「美」を選び取るその積み重ねが、やがてあなただけの美しい人生という大輪の花を咲かせるための、最も豊かな土壌となっていくはずです。
内なる花を咲かせる日々へ向けた小さな一歩
ここまで、木花咲耶姫の神話に導かれながら、アートとウェルビーイングが私たちの生命をいかに輝かせるかを見つめてきました。重要な視点を3つに集約します。
- 私たちの命には絶対的な価値があり、喜びを味わうために存在しているということ。
- 感情の揺らぎや葛藤を否定せず、美しいものと共鳴させることで内なるエネルギーが循環するということ。
- 知識や正解を手放し、自らの心が震える瞬間をただ純粋に味わうことの尊さです。
この温かなエネルギーを日常に落とし込むための、今すぐにできる小さな行動の具体案をご提案します。今日の1日の終わりに、ご自身の両手を胸の前でそっと重ね合わせてみてください。そして、1分間だけ目を閉じ、その手のひらから伝わってくるじんわりとした温もりをただじっくりと味わうのです。その温かさは、あなたが今日を懸命に生き抜いた命の証です。この極めてささやかな行動が、あなたの中に眠る深い安心感を呼び覚まし、明日への素晴らしい活力となります。
時代を超えて愛される女優であり、晩年はユニセフ親善大使として深い慈愛を捧げたオードリー・ヘップバーン氏は、人生を慈しみ、未来を肯定するこんな言葉を残しています。
「庭を植えることは、明日を信じることです」
土を耕し、種を蒔き、それが芽吹くのを静かに待つ。この「庭を育てる」という行為は、単なる作業ではなく、まだ見ぬ未来を無条件に肯定し、自らの手で美しさを形にしようとする希望の表現そのものです。
今、あなたがアートに触れ、自らの感覚を大切に育んでいる時間は、まさにあなた自身の人生という庭に美しい種を蒔いている状態です。芽が出るまでには時間がかかるかもしれませんが、その種は確実に土の中で呼吸し、成長しています。あなたの人生という素晴らしい旅路の先には、あなたが蒔いた感性の種が色鮮やかに芽吹き、心を震わせる感動という大輪の花が数え切れないほど待っています。
最後に、こうした生命の歓びを全身で体感できる素晴らしい場所として、神奈川県小田原市の青い海を見下ろす丘に佇む「小田原文化財団 江之浦測候所」をぜひご紹介させてください。世界的な現代美術家である杉本博司氏が、構想に十年、建設に十年という歳月をかけて作り上げたこの場所は、単なる美術館という枠組みを超え、人類の意識の起源を辿り、宇宙の呼吸と同期するための「壮大な精神の観測装置」となっています。
かつてミカン畑だった広大な傾斜地を歩むと、そこには数千年前の遺跡を思わせるような石組みや、最先端の建築技術が交錯する不思議な空間が広がります。この場所の最大の魅力は、季節の節目である「夏至」や「冬至」の太陽の光を正確に捉えるように設計された、光のトンネルや舞台です。
冬至の朝、海から昇る最初の太陽光が、全長70メートルの暗いトンネルを真っ直ぐに貫く瞬間。あるいは、相模湾の水平線に浮かぶかのように設えられた「光学硝子舞台」が、太陽の光を浴びて宝石のように輝く光景。それらは、木花咲耶姫が司る太陽のエネルギーと、私たちの命が分かちがたく繋がっていることを無言のうちに教えてくれます。
杉本氏は、自然を征服するのではなく、太古から続く自然の営みを「観測」することを通じて、人間の内なる精神を浄化しようと試みました。ここには、ガラス越しに作品を見るだけの静寂ではなく、潮騒や風の音、そして悠久の時を刻む石の肌触りに五感が目覚める圧倒的な体験があります。
建築物と自然環境が完全に溶け合い、空と海の境界すら曖昧になるこの空間でゆったりと深呼吸をすれば、日々の小さな悩みは消え去り、ご自身の命の根源と丁寧に対話するための最高の静寂が手に入ります。いつか機会がございましたら、ぜひこの「光の聖地」へと足を運び、あなたという存在が宇宙の一部として美しく開花する瞬間を、その細胞の一つひとつで感じ取ってみてください。

最後に、あなたへ大切なメッセージをお伝えします。
愛と使命を両立するあなたへ。
私たちがこの世に生まれてきた理由は、
決して苦しんだり、人を恨んだり悲しんだり、傷つけ合ったりするためではありません。
命とは、喜びを味わうために生まれてきたものです。
命の温かさを感じ、知り、「生きててよかった」とほっとして、安心してニコニコ笑うために生まれてきたのです。
私たちは、絶対的に今世の命を楽しむべきなのです。
『愛のある場所でこそ、人は生きる力を得る。』
『人生とは、喜びという宝物を探す旅である。』
『温かな感情は体温を上げ、人を幸せへ導く。』
どうか忘れないでください。
『あなたは、神様がつくった最高傑作』です。
あなたの命が、これからも喜びというパワフルなエネルギーで満たされ、温かな笑顔とともに輝き続けることを心から願っています。

私は、「人は幸せになるためにのみ、この世に送り出された」という揺るぎない確信を持ったアーティストです。
愛や喜びは、抽象的な概念などではなく、私たちの「生命維持に不可欠な根源」だと考えています。
だからこそ、私のアートやメッセージには、あなたの存在そのものを絶対的な価値として全肯定するエネルギーを込めています。
あなたがいつも、大いなる愛と光に守られていますように。
そして、あなたの大切な命の時間が、たくさんの幸運と共にありますように。
nao
【参考情報、引用元】
- 文化庁(令和5年度 文化芸術によるウェルビーイング向上推進事業 採択一覧)
- 国立精神・神経医療研究センター(芸術鑑賞とポジティブ感情の関連に関する研究発表・プレスリリース)
- 静岡県富士山世界遺産センター(秋季企画展「富士山と木花咲耶姫」に関する情報)
- 高知県立牧野植物園(牧野富太郎氏の生涯と名言「雑草という草はない」に関するエピソード)
- 古事記・日本書紀(木花咲耶姫の神話・産屋の炎と誕生に関するエピソード)
- すみだ北斎美術館(葛飾北斎氏の生涯、「富嶽三十六景」および晩年の言葉に関するエピソード)
- 横山大観記念館(横山大観氏の生涯、「朦朧体」への批判と海外渡航に関するエピソード)
- Paintings in Hospitals 公式サイト(シェリダン・ラッセル氏の創設エピソード、約30%のストレス軽減などの活動実績データ)
- 西洋美術史関連資料(オーギュスト・ルノワール氏の晩年のリウマチ闘病と「苦痛は過ぎ去るが、美は残る」という名言・エピソード)
- ハフポスト(知ってる? 牧野富太郎の名言「雑草という草はない」には続きがあった。朝ドラ『らんまん』のモデル)
- サンデー毎日(「雑草という草はない」 牧野富太郎に共感した天皇 社会学的皇室ウォッチング!)
- 和樂web(葛飾北斎の生涯と名言。90歳まで絵を描き続けた画狂老人の凄みとは?)
- 刀剣ワールド(浮世絵師「葛飾北斎」)
- すみだ北斎美術館(北斎を知る)
- Artpedia(葛飾北斎 - 生涯と作品)
- 美術手帖(葛飾北斎 - 美術手帖)
- 横山大観記念館(横山大観について)
- 足立美術館(横山大観コレクションについて)
- 山種美術館(横山大観 ―東京画壇の精鋭―)
- Artpedia(横山大観 - 近代日本画の巨匠の生涯と朦朧体)
- 美術手帖(横山大観 - 美術手帖)
- Wikipedia(ピエール=オーギュスト・ルノワール)
- 美術手帖(ピエール=オーギュスト・ルノワール - 美術手帖)
- アーティゾン美術館(ルノワールの名言:苦痛は過ぎ去り、美は残る)
- 国立西洋美術館(ルノワールの晩年と身体の表現)
- Artpedia(ルノワール:リウマチと闘いながら描き続けた「幸福の画家」)
- VOGUE JAPAN(オードリー・ヘップバーン、内面の美しさを物語る15の名言)
- Harper's Bazaar(時代を超えて輝く、オードリー・ヘップバーンの名言集)
- ELLE(自分らしく生きるためのヒント。オードリー・ヘップバーンの知恵)
- 小田原文化財団 江之浦測候所(建築と施設について)
- 婦人画報(杉本博司が築いた「江之浦測候所」は、人類の記憶を遡る場所)
- 美術手帖(小田原文化財団 江之浦測候所 - 美術手帖)
- Casa BRUTUS(杉本博司が10年かけて完成させた、最高傑作〈江之浦測候所〉へ。)
- 小田原市(小田原文化財団 江之浦測候所 | 小田原市観光協会)





