
モビールで知られる彫刻家アレクサンダー・カルダーは、生涯をとおしてジュエリーも作り続けました。その多くは、売るためではなく、妻や家族、親しい友人に贈るためのものでした。スミソニアン・アメリカ美術館の作品解説と、アメリカの公共ラジオNPRの記事をもとに、カルダーのジュエリーのことをまとめました。
モビールの作家は、ジュエリーも作っていた
スミソニアン・アメリカ美術館の解説によると、カルダーがはじめてアクセサリーを作ったのは子どものころで、妹の人形のためでした。
天井から下がって揺れる「モビール」や、床に立つ「スタビル」で国際的に知られるようになったあとも、カルダーはジュエリーを作り続けました。叩いて形を作った真鍮や鉄の部品をつなぎあわせ、渦巻きの形を何度も使っています。
いちばん多く受け取ったのは、妻のルイーザ
カルダーのジュエリーは、おもに家族や親しい友人のために作られ、贈りものとして手渡されました。いちばん多く受け取ったのは、妻のルイーザです(スミソニアン・アメリカ美術館)。
NPRの記事によると、二人が出会ったのは1929年、ヨーロッパからニューヨークへ向かう船の上でした。カルダーはルイーザのために、金のらせん形の結婚指輪を作っています。
スミソニアン・アメリカ美術館が所蔵する真鍮のネックレスは、1940年にルイーザのために作られたものとよく似ている、と解説されています。このネックレスは、カルダー夫妻から美術館に寄贈されたものです。
友人への贈りものは、身近な素材から
NPRの記事では、画家のジョアン・ミロに贈った指輪が紹介されています。黄色と青の陶磁器のかけらを、真鍮の線で巻いた指輪です。
使った素材は、真鍮・鋼・銀、それに古いガラスや陶器のかけら。ハンマーで線を平たくのばし、葉や円、とくにらせんの形に曲げました。溶接やはんだ付けは使っていません。
なぜ、売らなかったのか
スミソニアン・アメリカ美術館の解説によると、カルダーはジュエリーを商品として売ることを断っていました。身につける人に、「作家自身の手だけで作られたもの」だとわかってほしかったからです。
こうしたジュエリーは、2008年にフィラデルフィア美術館の展示「Calder Jewelry」で紹介され、そのあとニューヨークのメトロポリタン美術館、ダブリンのアイルランド近代美術館へと巡回しました(NPR)。妻や友人のために作られたものが、何十年もたってから、美術館で多くの人に見られることになりました。
ひとりのために作られたものは、長く手元に残る
誰か一人を思い浮かべて作られたものは、受け取った人にとって、ほかのものと替えがきかないのだと思います。カルダーのジュエリーも、売りに出されるのではなく、贈られた人の手元で大切にされてきました。
わたしがオーダーで描く絵も、お話をうかがった一人の方のための一枚です。受け取った方からは、「“私”というものを元に描いてくださった絵は何よりも宝物です!」という言葉をいただきました。携帯の待ち受けにしたり、仕事の机の横に置いたりして、毎日目に入る場所で使ってくださる方もいます。
ご自身のための一枚や、大切な方へ贈る一枚のことは、PERSONAL ORDER ARTのページにまとめています。
まとめ
- カルダーは、モビールで知られるようになったあとも、生涯ジュエリーを作り続けた
- ジュエリーはおもに家族や親しい友人への贈りもので、いちばん多く受け取ったのは妻のルイーザ
- ルイーザには金のらせん形の結婚指輪を、ミロには陶磁器のかけらを真鍮線で巻いた指輪を作った
- はんだ付けや溶接は使わず、ハンマーと曲げる手仕事で形にした
- 「作家自身の手だけで作られたもの」とわかってほしいと、商品として売ることは断っていた
【参考にした情報・引用元】
- Smithsonian American Art Museum(Alexander Calder, Necklace)
- NPR(Alexander Calder’s Jewelry Gets Its Due, Finally)Susan Stamberg, 2008年7月22日
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