
祖母が描いた日本画が、いまもわたしの家の和室にかかっています。では「日本画」とは何か、と聞かれると、うまく説明できないことに気づきました。歴史を短くたどってみます。
「日本画」という呼び名は、意外と新しい
「日本画」ということばは、明治時代に、西洋から入ってきた油絵(洋画)と区別するために広まった、と言われています。それより前は、ただ「絵」でした。
つまり日本画は、長い伝統をまとめて呼ぶために、後からつけられた名前です。
やまと絵 ― 日本の四季と物語を描く
平安時代、中国由来の「唐絵(からえ)」に対して、日本の風景や物語を描く流れが生まれます。これが「やまと絵」です。
源氏物語絵巻のように、四季のうつろいや人の暮らしを、やわらかい色と線で描きました。自然と物語を大切にする感覚は、このころにかたちづくられています。
琳派 ― 装飾という発明
江戸時代のはじめ、本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)や俵屋宗達(たわらやそうたつ)から、のちに「琳派」と呼ばれる流れが始まります。名前は、少しあとの尾形光琳(おがたこうりん)の「琳」から取られました。
琳派は、師匠から弟子へ受け継ぐ流派ではありません。前の時代の絵に共感した人が、直接教わらずに独学で学ぶ「私淑(ししゅく)」でつながっていった、ゆるやかな系譜です。
金銀の箔を背景に使い、大胆な構図を組み、「たらしこみ」という技法を使います。濃さの違う墨や絵の具を、乾かないうちに垂らして重ね、にじみでかたちをつくる技法です。

近代の日本画 ― 岡倉天心さんと朦朧体
明治になり、岡倉天心さん(おかくらてんしん)が東京美術学校や日本美術院を率いて、日本画を新しくしようとしました。
その中心にいたのが、横山大観さん(よこやまたいかん)と菱田春草さん(ひしだしゅんそう)です。ふたりは「空気は描けるか」という問いから、輪郭線に頼らず、色のにじみで対象を描く方法を試みました。のちに「朦朧体(もうろうたい)」と呼ばれます。
この描き方は、当時の日本では評判がよくありませんでした。ところが1904年にニューヨークで開いた展覧会では思いがけず好評で、日本より高い値がついた、と伝えられています。
歴史は、いまの制作につながっている
自然と物語を描くやまと絵、装飾とにじみの琳派、輪郭に頼らない近代日本画。ばらばらの話に見えて、「線ではっきり囲まないで、色や空気でかたちを感じさせる」という感覚は、どの時代にも流れています。
わたしが絵を描くときも、はっきり description するより、色の重なりで気配をつくることを大事にしています。歴史を知ると、自分の手が何とつながっているのかが、少し見えてきます。
Mermaid nao のオーダーアートは日本画そのものではありませんが、こうした流れの上に立って制作しています。
【参考にした情報・引用元】
野村美術(日本画の歴史)
ウィキペディア(横山大観さん/琳派)
ポーラ美術館(シン・ジャパニーズ・ペインティング 革新の日本画)
和樂web(俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一、鈴木其一、琳派とは?)
https://nomurakakejiku.jp/lesson_lineup/nihonga-art-history
https://ja.wikipedia.org/wiki/横山大観さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/琳派
https://www.polamuseum.or.jp/sp/shinjapanesepainting/
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